[風俗] 遊郭 赤線 青線(5)−12 玉の井案内 私娼街の魅力 山本嘉次郎さんとエノケン

前回の続きですが、東武電車の玉の井駅が東向島駅と改称され, かの寺島町も地図上から消え去ったのですが、…そもそも玉の井と称する町名は存在したのか?
郡部出身の方には馴染みの、大きな村を更に大字、字と地域を分類しておりましたが、明治時代、当地は《東京府南葛飾郡寺島村字玉の井》と呼ばれ、寺島町から昨今の東京都墨田区東向島5丁目に成ったのでした。
現代の町名表示に慣らされた盲点だったのです。 昔の寺島村の字玉の井が発祥でした。…
     

昭和35年 東武電車玉の井駅 小針美男画 東京文学画帖
ま、どうでも良い様な話に、のめり込みに見えますが、永井荷風さんの「濹東綺譚」と滝田ゆうさんの「」寺島町奇譚、「昭和夢草紙」にハマッテしまった私だったのです。 と云うことで、当地が私娼街になった経緯に移ります。……浅草に十二階が出現した頃、この付近一帯は田圃と蓮根畑の湿地帯でしたが、ある出来事から人が住み着き始めます。
忽然と玉の井に私娼街が成立した理由とは…、大正十二年の関東大震災で浅草の十二階下私娼窟一帯が焼失したのですが、警察が再興を認めず追い出された業者が目をつけた場所が当地と亀戸天神裏です。具体的には現在の浅草警察署、当時の象潟(きさがた)警察署長橋爪警視の私娼窟徹底取締りの結果でした。娼妓が店頭に容姿をさらす事を禁じ、顔だけ見せる小窓の方式を強要した人物も橋爪警視で、 日頃から《鬼の橋爪さんに涙があれば、浅草千束町には蔵がたつ》と銘酒屋の主人達は嘆いたそうです。
さて、「濹東綺譚」となりますと、この私娼街の実体が文学作品に昇華されたきらいがありますので後回しにして、夜の街の実体やエピソードなど拾ってみましょう。…昔の公娼、遊郭で接客した女達を娼妓、女郎、おいらん、など江戸以来の呼び方でしたが、それでは私娼は何んと呼ばれたのでしょうか?宿場では飯盛り女、比丘尼宿は比丘尼でしょうか、街娼の類は夜鷹とか姫君、戦後は”タチンボ”、夜の女、ストリートガール、パンパン、街娼、その他、売春婦、淫売婦などはっきり区別のつかない多様な呼び方が地方によっても色々ありました。
当地では窓口に座る娼婦を出方さんと呼んだそうです。ユニークな銘酒屋(メイシヤ)街として玉の井が耳目を集めた要因はこの街のシステムです。  営業許可区域『抜けられます』の娼家の小窓は家主の権利に属し、娼家経営者はそれを借りて1〜2名の娼妓を置き利益を得るのですが、誰でも参入出来、主人出方と呼ばれる娼婦兼経営者などが参入して効率性や多様性を発揮した結果、客にとっては歓迎すべき面白い街になったのです。 この街独特な主人出方には事情絡みで、元陸軍将校夫人、大学教授夫人とか、鶴が降り立った様に参入して人気を集め、一転して娼家経営者に変身する話とか、過って十二階下の辣腕娼婦が経営者として大成功し、一躍玉の井のお大尽と呼ばれて大邸宅を構えたエピソードなどあったり、女性の多様性が遊郭(公娼)と違う人気を集めたとも云われております。
では率直に街の様子を切り取ったお話は映画監督山本嘉次郎さんの小文”戦色玉の井”から当地の更なる切り口、一面を…東京百話(天の巻) 種田季弘 ちくま文庫から一部分、再引用。
……そこで、黒澤明谷口千吉、その他助監督を引き具して、隅田の川を渡った。大通りからミルクホールの角を曲がると、奥は無数の路地が入り乱れ、迷路になっている。……
……迷路の中央には、幅の広い改正道路がつらぬいていた。そこから再び路地に入る角に、おでんと焼き鳥を食わせる屋台があった。……夏になると、屋台の前に縁台が三つばかり並んだ。 おでんの代わりに、とうもろこしを焼いている。それを、ハーモニカのように食いながらビールを飲んだ。 
私たちはこの木村(屋台)を拠点として、おでんや焼き鳥、そして、とうもろこしを女のいる小さな窓口に配給して歩いた。 こうして、すっかり顔になってしまったのである。 とうもろこしが一番受けた。 彼女達の郷愁をそそったのであろう。 木村から、ちょっと入ったところの窓口に、びっくりするような美人がいた。齢は十八歳前後であろうか。 水蜜桃のような顔をした清楚可憐な少女であった。  とても、こんなところにいるような女とはおもえない。横浜生まれで、フェリス女学校を出たということである。 そういえば、どこか異国情調をもっていて、竹久夢二の絵のようである。 それから半年ほどののち、徳田秋声の長男の一穂と熱烈な恋をして、心中をはかったり、足ぬけをしたりして新聞の社会面を賑わしたことがある。
木村のトイメンの角に、花柳病院(はなやぎではない)があった。そこは検黴もするが、女たちが自衛上、利用しているところである。 私たちは、いつの間にかこの病院に屯して、前の木村から酒や肴を取り寄せ、飲むことになった。 黒澤君の傑作「酔いどれ天使」は、案外、ここから想いを発しているのかもしれない。 あるとき、窓から見たら、谷口千吉君がひとりで向こうの木村で飲んでいる。「おーいセンちやん、おいでよ」と呼んだら、センちゃん片手にビール瓶をブラブラさせながら、近づいてきたのはいいが、いきなり目の前の溝(どぶ)にドボンと落ちてしまった。 大きな深い溝で、悪臭、異臭、猥臭、薬臭、包帯、ガーゼ、脱脂綿、ゴム製品のカクテルである。 しょうがないので、病院の風呂場に引張り込み、頭から水道のホースを浴びせ掛けた。「寒いよう…寒いよう…」
センちゃんは翌日、院長さんの洋服を着て、撮影所に現われた。……
…元旦は芝居と風呂屋は早退け(はやびけ)である。エノケンと私は八時ころ松竹座を出た。ほかに飲むところもないので、玉の井へ行った。
酔った末、ミカンとアンパンを五円ずつ買った。洋服の空き箱とフタに山盛りあった。それを各窓口に配給するのである。これも大いに受けた。 好い気になって、ある窓口に寄ると、ミカンとアンパンを受け取った女の子が、フト見上げて、「あらヤダよ、この人ァ。エノケンみたいな顔しちゃってサア……」エノケンは、あの顔をクシャクシャにさせて、「もう帰りましょう」。

注)花柳病院→花柳病(かりゅう病)→性病→性病科病院、この病院は”寺島町奇譚”の漫画家「滝田ゆう」さんの実家、飲み屋”ドン”の近くの昭和病院で娼婦の検梅をしていたところ、多分、現在の墨田区向島保健センター(旧向島保健所)の位置、地図で探してみてください。……先へつづく
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遊郭 赤線 青線》
(12) 元吉原遊郭 遊郭という街が出来た
(11) 遊廓という街があった-2
(10) 遊郭という街があった-1
(9) 吉原遊女 投げこみ寺、淨閑寺昨今
(8) 吉原遊郭 裏方従業員
(7) 現代吉原遊郭変遷 ソープ街を歩く
(6) 玉の井案内 向島と濹東綺譚
(5) 玉の井案内 私娼街の魅力 山本嘉次郎さんとエノケン
(4) 玉の井案内 夢か現か(うつつか)幻か。
(3) 現代異端ストリートガール(街娼)考
(2) 著名文士と青線、遊郭の女達-2
(1) 著名文士が接した赤線の女達-1