[風俗] 遊郭 赤線 青線(6)−12 玉の井案内 向島と濹東綺譚

東京スカイツリーも来年5月22日の開業予定の整備に向けて余念がありません。 すでに、業平橋駅界隈は待ちあぐねた人々が一目見ようと賑い、煙の様に高いところが、お好きな方が多いようです。 
     
上)スカイツリー東武鉄道貨物ヤード時代 下)スカイツリー起工時

しかし私にとっては開業後の人の流れは、お江戸向島情緒の復権につながるのか興味があるのです。
東京も昭和の時代に入りますと、文化は西へ、山の手へと移動して行き、お江戸以来の風雅な向島は取り残されて、川向の場末の観さえありました。 名人落語家古今亭志ん生さんの書いた《なめくじ長屋》の話では、業平橋周辺に家を建てた大家さんが借り手がなくて困り果てて、貧乏暮らしの”志ん生”さんに目をつけて無料(タダ)で住まわせます。…実は業平橋でも人が住める見本として頼んだのでした。お蔭で、志ん生一家は蚊とナメクジの大群や大水に悩まされて生活した話ですが。!……
と、云う事で墨田堤に沿って、江戸以来の著名な神社やお寺の遺構が残され、ここを核として色々とお江戸向島情緒があります。荷風さんの玉の井も戦前の新開地ではありますが、情緒は向島という事でしょう。
名作”濹東綺譚”のアプローチとして荷風さんの随筆「寺じまの記」で向島情緒を知り、漫画家滝田ゆうさんの「寺島町奇譚」で銘酒屋(めいしや)と呼ばれた私娼街の住民を知れば、玉の井のイメージが自然に出来上がってまいります。……
それでは名作”濹東綺譚”の場面で地図上に断定できるシーンをピックアップしてみます。……東向島駅から東武線の高架に沿って北千住方面に歩くと四五分で”いろは通り”(大正道路)に出ます僅か右に進むと変則的で狭苦しい五差路のような交差点があり、ここからが今回の散策のスタートポイントです。この五差路の一本が賑(にぎわい)本通りで、お雪との出会いのポストの在った道です。それと文中の中島湯の道の三辺に囲まれたデルタ地帯(一部、二部)と界隈が物語の舞台になっておりますので今回はこのコースを巡り再び出発点に戻ってまいります。(↓略図参照)
    
(1)旧京成玉の井駅跡と京成電車線路跡道の入り口⇒路地角にカラオケ ビックエコー
(2) お雪の居た家、寺島町7丁目61番地(二部)安藤方と伏見稲荷があった路地入り口です。⇒路地角に柏木医院
(3) 寄席玉の井館(現、スーパー)、身延山啓運閣、バス車庫前です。
(4) 馬肉屋の在った交差路で東清寺と玉の井稲荷の入り口。⇒路地角に肉屋O-KOSHI
(5)中島湯、九州亭の道との交差路⇒路地角にゲームセンター
(6)九州亭の場所と賑本通りの交差路 
(7)夕立でお雪が大江の傘に入ってきたポスト(なし)の先の路地玉の井町会入り口⇒路地角にトップマン
(8)改正道路(6号線)から京成電車線路跡道の入り口⇒路地角にマンション

では御案内します。--------大正道路を歩くとすぐ右手の路地の奥に、物語では伏見稲荷とお雪の家があって円タクの時に降りる路地口の場所でもありました。その先左手に今でも交番があります交番のすぐ先、左がスーパーマーケット(寄席玉の井館跡)で奥に身延山の寺、啓運閣が見え、スーパーの前側が元の京成バスの車庫の在ったところです。      
【寺じまの記】から
……車はオーライスとよぶ女車掌の声と共に、動き出したかと思う間もなく、また駐って、「玉の井車庫前」と呼びながら、車掌は私に目で知らせてくれた。……左側に玉の井館という寄席があって、浪花節語りの名を染めた幟が二、三流立っている。その隣に常夜燈と書いた灯りを両側に立て連ね、斜めに路地の奥深く、南妙法蓮華経の赤い堤灯をつるした堂と、満願稲荷とかいた祠があって、法華堂の方からカチカチカチと木魚を叩く音が聞こえる。 これと向かいになった車庫を見ると、さして広くもない構内のはずれに、燈影の見えない二階家が立ちつづいて、その下六尺ばかり、通路になった処に、「ぬけられます。」と横に書いた灯りが出してある。……
【濹東綺譚】から
更に80m程歩くと四辻の左奥に新築コンクリートのお寺が見えてます、曹洞宗東清寺です。……わたくしはお雪の話からこの稲荷の縁日は月の二日と二十日の両日である事や、縁日の晩は外ばかり賑やかで、路地の中はい却て客足が少ないことから、窓の女達は貧乏稲荷と呼んでいる事などを思い出し、……四辻を更に100m位先の交差点を右折します。間もなく左手にマンションが建っていますが、ここが中島湯の跡地です。 ……この道の片側に並んだ商店の後一帯の路地は所謂第一部と名付けられたラビラントで。お雪の家の在る第二部を貫くかの溝は、突然第一部のはずれの道端に現れて、中島湯という暖簾を下げた洗湯の前を流れ、許可地外の真暗な裏長屋の間に行先を没している。……
その先で賑本通りと交差する小さな四辻ですがここから水戸街道(改正道路、広小路)が窺えます。……九州亭というネオンサインを高く輝かしている支那飯屋の前まで来ると、改正道路を走る自動車の灯が見え蓄音機の音が聞こえる。植木鉢がなかなか重いので、改正道路の方へは行かず、九州亭の四つ角から右手に曲がると、この道は右側にはラビラントの一部と二部、左側には三部の一区劃が伏在している最も繁華な最も狭い道で、呉服屋もあり、婦人用の洋服屋もあり、洋食屋もある。ポストも立っている。 お雪が髪結いの帰り夕立に遇って、わたくしの傘の下に駆け込んだのは、たしかこのポストの前あたりであった。……出発点の五差路に戻ります。

上)大正道路(いろは通り)北側旧赤線地帯


下)改正道路(水戸街道
6号線)東武線ガード下の英国製蒸気機関車

戦災焼失、敗戦後の玉の井は雑然と立て込んだ、愛想のない住宅街に変化、迷路とドブは小路に変わり、失われた街を辛うじて偲ぶよすがです。敗戦後、元銘酒屋経営者が目を付けたのが、玉の井大正道路(いろは通り)北側一帯の焼け残った地域で、私娼、赤線街が出来上がり、同時に墨提にも流れ、向島鳩の街として共に繁盛します。が昭和32年の売春防止法執行で消滅しました。玉の井界隈の私娼街は戦前は大正道路南、戦後は北側と時代により場所が区別されております。 
遊里の残滓、玉の井散策には大正道路北側に赤線娼家遺構と戦前場末の下町が残されており、とにかく歩けば何か得る物があります。高見順の小説”いやな感じ”(文春文庫)冒頭の玉の井……暗い踏切の手前で円タクをとめた、旦那、お楽しみですねと若い運転手がにやにやしながら、釣り銭を出した。 なに、いってやがると砂馬慷一はその小ぜにをひったくるようにした。 道路の向うを汽車の線路が横断している。 旧式の機関車がその道路の真中に立ちはだかって、老いぼれの喘息病(やみ)みたいに、ゼーゼーと白い息を吐いている。市外の、ここは場末のどんじりだ。……この小説の場所は改正道路、今の水戸街道(6号線)の踏み切りの事で、私は偶然、現在は東武電車高架下に英国ピーコック製造の機関車が保存されているのを発見。…小説と余りに好く出来た一致に驚きました。………先へ続く… ……前へ戻る…  

遊郭 赤線 青線》
(12) 元吉原遊郭 遊郭という街が出来た
(11) 遊廓という街があった-2
(10) 遊郭という街があった-1
(9) 吉原遊女 投げこみ寺、淨閑寺昨今
(8) 吉原遊郭 裏方従業員
(7) 現代吉原遊郭変遷 ソープ街を歩く
(6) 玉の井案内 向島と濹東綺譚
(5) 玉の井案内 私娼街の魅力 山本嘉次郎さんとエノケン
(4) 玉の井案内 夢か現か(うつつか)幻か。
(3) 現代異端ストリートガール(街娼)考
(2) 著名文士と青線、遊郭の女達-2
(1) 著名文士が接した赤線の女達-1