[探訪][地域][河川]  江戸川(6)−7 懐旧の浦安町

昭和35年(1960)文藝春秋山本周五郎さんの「青べか物語」が連載され、漁師町浦安のしたたかな生き様、人情、叙情に私はなぜか魅了され、以来浦安は身近な懐旧の場所となっておりました。
周五郎さんが蒸気河岸の先生と呼ばれ住付いのは大正15年〜昭和4年の3年間、23〜26歳の間ですから、高齢者と呼ばれる私とて遥か乖離した時代の話なのですが!…

現代の浦安市はディズニーランドと臨海住宅地として脚光をあつめ、裕福な自治体なのでしょう。 しかし「好事魔多し」か、3.11地震では液状化被害が全国に発信され、埋立地の地盤安定化が課題に上がっています。 そんな時、浦安市のルーツタウンである旧浦安町境川周辺を歩いてみました。

上)浦安郷土博物館
下)館内の展示家屋

では昭和の初めの浦安町の様子…  山本周五郎青べか物語”新潮社より
海からの眺望……百万坪から眺めると、浦粕町がどんなに小さく心ぼそげであるか、ということがよくわかる。
それは荒れた平野の一部にひらべったく密集した、一かたまりの、廃滅しかかっている部落といった感じで、貝の缶詰工場の煙突からたち昇る煙と、石灰工場の建物全体を包んで、絶えず舞いあがっている雪白の煙のほかには、動くものも見えず物音も聞こえず、そこに人が生活しているとは信じがたいように思えるくらいであった。

浦安、街の概要は……西の根戸川と東の海を通じる掘割が、この町を貫流していた。蒸気河岸とこの堀に沿って、釣り船やが並び、洋食屋、ごったくや、地方銀行の出張所、三等郵便局、巡査派出所、消防署 と云っても旧式の手押しポンプの入っている車庫だけであったが、そして町役場などがあり、その裏には貧しい漁夫や、貝を採るための長い柄の付いた竹篭を作る者や、その日によって雇われ先の変る、つまり舟を漕ぐことも知らず、力仕事のほかには能のない人たちの長屋、土地の言葉で云うと「ぶっくれ小屋」なるものが、ごちゃごちゃと詰めあっていた。
浦安町の中心部は……「堀南」と呼ばれ、「四丁目」といわれる洋食屋や、「浦粕亭」という寄席や、諸雑貨用品店、理髪店、銭湯、「山口や」という本当の意味の料理屋 これはもっぱら町の旦那方用であるが、そのほか他の田舎町によくみられる旅籠宿や小商いの店などが軒を列ねていた。
その南側の裏に、やはり「ごったくや」の一画があり、たった一軒の芝居小屋と、ときたま仮設劇場のかかる空き地がある、というぐあいであった。……

注) 浦粕町→浦安町  根戸川→江戸川  堀南→現、フラワー通り
と云うわけで、浦安町は昭和56年(1981)市に昇格してこのルーツタウンを居抜きの状態で市の中枢を埋立地にシフトして新制浦安市は発展してまいりました。…
       


まだ、浦安市が町であった昭和45年、”男はつらいよ”の第5作望郷篇では江戸川柴又に舫う小舟で昼寝中の寅さんは、舟の舫いが解け、夢見の間に浦安に流れ着きます。 ひょんな事で豆腐屋で働く気になり、真面目な労働に目覚め股旅生活から足を洗ったと思いきや、…実は店の娘へ、例の早とちりです。…《白く咲いたか百合の花、 四角四面は豆腐屋の娘 色は白いが水くさい》 と再び旅の空へ。…この映画では漁師町の風情と境川を埋める「べか舟」のシーンなどありました。 …また主演”森繁さん”が蒸気河岸の先生(山本周五郎)で映画青べか物語もあり、美しい叙情シーンが印象に残っておりますが、これは時代をセットで再現させた映画だったと思います。
ま、古い人にとって浦安とは境川の浦安町の事をイメージしているのです。…この町の漁民が生活の糧であった漁業権の放棄を昭和三十七年頃から順次決めたことで海面埋め立てが可能になり、今日の浦安市発展をもたらしました。
考え過ぎかも知れませんが!、このルーツタウンを置き去りに新天地にシフトした浦安市役所の贖罪意識なのか? 市役所の裏には浦安郷土博物館があり、海苔、貝漁業時代の浦安の海や漁民生活をテーマとして、更に往時の建物を移築したりして「青べか物語」時代の街が復元しております。
なかでも下記の市指定文化財は家の中にも上がって丹念に見てください。
● たばこ屋 【旧本澤家住宅】 大正15年(1925)の建築。
● 漁師の家 【旧吉田家貸家住宅】 明治後期頃の建物。
● 魚屋 【旧太田家住宅】 明治三十八年(1905)の建築。
● 三軒長屋 【旧内田喜一氏所有】 江戸末期の建築。
その他特に”青べか”フアンにはフラワー通りに実在し、山本周五郎もよく行った天ぷら屋(天鉄)を再現してあり。「青べか物語」では次の様な描写になっております。

……私は僅かな稿料がはいると、よく天鉄へいってめしを喰べた。 てんぷら一人前で酒を一本ゆっくりと飲み、そのあと、その日の特にいいたねを二つか三つくらい揚げてもらってめしを喰べる。そのころ私はまだ酒に弱かったので、よほどのことがなければ二合飲むようなことはなかったし、一合を飲むのにも一時間くらいかかったろう。
……店は昔ふうで、土間に卓子(テーブル)が二脚ほどあり、鉤の手に畳を敷いた座敷があった。もちろん土間に面したほうは、障子もなにもなく、客があれば薄い座布団をしくだけ。膳は四角で、足のない平膳であった。……

…現在の浦安市役所など行政機関が集中している地域が陸地の境界、海岸線で、南の舞浜ディズニーランドから新浦安駅間に展開する住宅、学校、マンション街、湾岸道路、JR京葉線は過っての海苔、貝類を養殖する遠浅の海を埋め立てたものです。
この後は、セミの抜け殻の街、旧浦安境川周辺を探訪します。 …… 次回へつづく
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ディズニーランドの浦安市浦安市郷土博物館は無料です。休館日に御注意。
浦安郷土博物館HP→http://www.city.urayasu.chiba.jp/menu1506.html

《江戸川》
(7) 浦安町バーチャル手帳
(6) 懐旧の浦安町
(5) 利根運河 銚子航路蒸気船から筏(いかだ)まで
(4) 流山、近藤勇の生き様
(3) 味醂の街流山と近藤勇、小林一茶
(2) 行徳新河岸と日本橋長渡船
(1) 川という人工導水路と防災安全性は