[河川][交通流通] 江戸川(5)−7 利根運河 銚子航路蒸気船から筏(いかだ)まで

今回は運河のお話です。…早速ですが、運河と言はれると何方様もそれぞれのイメージがお在りとおもいます。 私などはパナマ運河スエズ運河を先ず考え、東京近辺では京浜運河でしょう。 
しかし運河と称しても道路橋が架かり本船はおろか、せいぜいボートか艀(はしけ)ぐらいの水路が大部分です。 例えば羽田空港行きの東京モノレールで芝浦、品川から続く水面は京浜運河の東京部分に当たります。神奈川部分の横浜から川崎間は数万トンの外航船の航路になっているのですが…。
地図を確認しますと結論は埋め立て造成地を仕切る水面を○○○運河としている事が分り、川とは云えず、適当な名称がないからでしょうか。?
ところが、400年前徳川家康公が開削させた小名木川は、れっきとした船舶航行用の運河で大正時代までは江戸東京には最重要の物流、舟運水路でした。 では本題の利根運河とは?、…
      
上) 利根運河ロケーション 下) 利根運河遺構

千葉県流山市野田市の境界に明治期に掘削した利根運河は江戸川と利根川を結ぶ全長8.5Kmの遺構が保存されて居ります。
江戸川河川事務所が管理する水路で、散策路もよく整備され両岸に展開する手付かずの里山を貫く低湿地(谷→やつ)の雄大な自然景観の連続と相俟って巨大土木遺構は貴重な存在です。 この運河の竣工は明治23年(1890)パナマ運河竣工の24年前になりますが、なぜ利根運河の計画がもち上がったのでしょうか。 …徳川中後期にかけて江戸は既に世界一の人口を擁する百万都市であり消費物資の物流路は唯一舟運に頼っており、この大動脈が銚子から利根川、関宿から江戸川へ、小名木川隅田川経由で、東北や関東各地の米穀、木材、魚介物その他産品が大量に供給され江戸の生活が成立しておりました。 ですが、舟運には利根川筋に難点が在ります。江戸川流頭の分流点関宿から鬼怒川合流点付近の部分に冬季渇水や土砂堆積でしばしば航行不能になり木下河岸から陸路行徳河岸へ、布佐から松戸、布施から流山など3ルートを馬の背に頼り、更に江戸川で船に積み替えていたのです。 なお鮮魚など急送産品は時間短縮の為に常時、木下街道などの鮮魚(なま)街道を経由したとも聞きます。
そこで、遅まきながら利根川の問題部分手前でショートカットする利根運河の掘削案が明治14年(1881)に茨城県会議員広瀬誠一郎が発案しますが、数代に亘る千葉、茨城両県知事(県令)も巨額工事の賛否が定まらず内務省は既に鉄道建設を物流の本旨として居り、この件案には否定的で公費建設は断念し、運河会社を設立して50円株8000株を発行し、資本金40万円で利根運河株式会社を設立しました。
     
上) 利根運河遺構 下) 運河土手の周辺
…明治21年(1881)設計者オランダ人ムルデルを現場監督に迎え着工し明治23年に竣工通水しますが延べ220万人を要した大工事で 総工事費57万円でした。
この運河の具体的な利点は在来の航路、関宿経由より40Km短縮され、この間の所要日数3日が1日に、また運行費用も軽減されましたが、3日間という省略日数は、無動力の高瀬舟に米600〜1200俵を積み、川の浅瀬を遡るわけですから、綱で引いたり竿を差したり刻苦があったのでしょう。
また江戸川流頭の関宿”棒出し”も難所で水先案内を頼み、通過作業には人夫4、5人が必要だったといいます。…
運河竣工後、利根運河株式会社は時流にのり主要物流路として繁昌し竣工18年後の明治41年(1908)でも通過船は、和船3万隻、イカダ860枚、汽船2400隻を数へ、銚子行きや関東各地への旅客船として賑わいます。 しかし、鉄道網の整備はボディブロウの如く、年々通過船は減少し、昭和16年(1941)台風による洪水で水路は航行不能の被害を受け利根運河株式会社は解散、運河遺構は国により買い取られました。
運河竣工時の水路概要は、全長8.5km、平水面巾20m、無動力船(和船、イカダなど)用の曳き手道(人が綱で船を曳く)が両岸に整備されいました。 今では茫漠とした江戸川口、深井汽船寄港場には利根運河会社本社や戸数50戸、旅館料理屋が5軒と賑っていたとは!、…昔日を偲ばせる物は一つとして在りませんでした。……

 
上) 外輪蒸気船通運丸 下) 江戸川運河入口と往時の運河通過待ち船、モノクロ写真は「あの船この船」石渡幸二著 中公文庫より。
《運河探索の御案内》
東武野田線運河駅を下車、駅前県道を横断、すぐに利根運河に架かる運河橋があり橋上からは運河の江戸川方面が俯瞰できます。橋を渡り、たもとの信号機を左折すると運河水辺公園で大斜面下に水路が通じています。
利根運河碑とムルデルのレリーフと石碑があり、その先、道路右側には利根運河交流館がありますが、初めての方は是非立ち寄って下さい。
広大な運河散策を楽しむには絶対必要な案内図や動植物、自然観察に便利なパンフレットなど取り揃えてあります。
いただいた利根運河絵図を開いて見ますと利根運河の全貌が一目瞭然ですが、全長8.5Kmですから踏破すれば約20Kmのコースになります。
自然につつまれ運河周辺を楽しむ程度でしたら、創業130年の窪田酒造、味噌醸会社は運河の舟運と良質の水を得て当時の黒板塀の見世を事務所に盛業して居ります。 その僅か先の利根運河大師は昭和16年の大洪水で運河周辺改修工事により四散した札所の大師像を信者の努力で一堂に集めたそうです。
特に自然を楽しみたい向きには前記運河橋の脇には東京理科大学のキャンパスがあり利根川方向に運河遊歩道路を散策すると提上散策路から僅かに道跡があり理想会(理科大學同窓会)記念自然公園に行かれ里山と谷津の水辺に手を加えずに自然をいかした広大な区域は秋の紅葉も更に素晴らしいかと思われます。
公園内は標識は完備されておりますが迷われないよう御注意。
運河散策路に戻ります。更に利根川方向に歩くと国道16号線の下をくぐりますと、ここからの運河提上の道は両側に開ける雄大里山、谷地の景観を身近に展望出来る東京近郊で唯一の貴重な場所でしょう。 運河全区域には散策路が完備されておりますので健脚の方はそれぞれの楽しみ方があると思います。 …… 先回へつづく… 。……前回へ戻る… 


《探索の下調べは》
流山市観光協会利根運河絵地図など。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/nagareyama-s.a./unga/toneunngaezu.html
利根運河交流館→利根運河リーフレット、案内。
http://toneunngakouryuukann.web.fc2.com/

《江戸川》
(7) 浦安町バーチャル手帳
(6) 懐旧の浦安町
(5) 利根運河 銚子航路蒸気船から筏(いかだ)まで
(4) 流山、近藤勇の生き様
(3) 味醂の街流山と近藤勇、小林一茶
(2) 行徳新河岸と日本橋長渡船
(1) 川という人工導水路と防災安全性は