地域 東京
何ごとも不透明な時代とは云え、どうやら近頃の世情は『…だろう』とか『…可能性がある』が流行りだして、原発や地震の専門知識を蔑ろに政治家さんが騒がしいようです。 また、最近一斉に地震学者さんが統計学者に変身したのか、地震記録や頻度を持ち出して占…
最近はTVなどで大阪市長の橋下さんが人気のようです。ま、世間の政治意識とやらも、かの権力にしがみつくだけの管前総理の醜態を目の当りにした危機感の結果でしょうか?、更に滑稽なのは復古調の老人政治家や風任せ議員さん達の抱きつきの様子です。 この人…
永井荷風さんの随筆「伝通院」の一節に…「進む時間は一瞬ごとに追憶の甘さを添えて行く。」とあります。………しかしながら、その感慨の裏腹にどうにも成らなかった社会の不条理、伝統的社会悪に苦しんだ庶民の生活もありました。 人身売買は東北の寒村のお話の…
御年輩には文学者、文化勲章受章者でもあった、永井荷風さんは周知のお方でしょう。 また、慶応義塾大学の文学部主任教授の教育者、三田文学主宰者の経歴もあり、彼の講義の影響をうけた人材には佐藤春夫、小泉信三、久保田万太郎、松本泰、水上瀧太郎などが…
最近の報道で話題になっている品川、田町駅間に新駅開設の話があります。 どうやら確定ではなく、JR東日本の発案により東京都、地元などとの協議を始める段階のようです。…… 私も芝浦地域に興味を持ち、既にブログ「東京下水道物語」、「知っていますか東…
東京スカイツリーも来年5月22日の開業予定の整備に向けて余念がありません。 すでに、業平橋駅界隈は待ちあぐねた人々が一目見ようと賑い、煙の様に高いところが、お好きな方が多いようです。 上)スカイツリー東武鉄道貨物ヤード時代 下)スカイツリー起…
前回の続きですが、東武電車の玉の井駅が東向島駅と改称され, かの寺島町も地図上から消え去ったのですが、…そもそも玉の井と称する町名は存在したのか? 郡部出身の方には馴染みの、大きな村を更に大字、字と地域を分類しておりましたが、明治時代、当地は…
小説濹東綺譚を読んで、ふらふらと玉の井の街に引き寄せられた私ですが、昭和20年の空襲で戦火に焼かれ、現在の街は迷路の小路に建て込んだ只の住宅街です。それでも歩き回るのは町の輪郭と路地など昔のまま残り、脳裡に仕舞い込まれた小説のイメージを追…
前回よりお話は続きまして、ホテルニュージャパン跡地に建つ、プルデンシャルタワービルのわずか先には山王日枝神社参道の大鳥居が在ります。江戸初期の代表的建造物として国宝の指定を受けていた日枝神社は昭和20年5月、B29の東京空襲で敢なく烏有に帰し…
前回の明治新政府要人奇禍の紀尾井町につきましては、現代では外国要人の宿泊先として有名なホテルニューオオタニの所在地として知られ、御存知の方も多い事と思いますが、町名の由来は紀州(現、赤坂プリンスホテル)、尾張(現、上智大学)、井伊(現、ホ…
外堀通り、神田川御茶ノ水渓谷沿いを水道橋交差点へまいりますと、いまだに記憶に残るのは!…端(はな)から大変失礼かと存じますが、塵芥、屎尿を船に積込む清掃局作業所河岸の話です。 昭和40年代迄はこの神田川(外堀)は清掃局作業所の集中地帯でした。…
前回に引き続き、お江戸の茗渓”御茶ノ水渓谷”に由緒のある教育学問の施設など調べてみます。 因みに”茗”とはお茶の雅称だそうで、御茶ノ水渓谷→茗渓と呼んでいたのでしょう。…… 先ずは現代でも有名な聖橋の孔子廟です。犬公方こと五代将軍徳川綱吉は元禄三年…
先ず、今回の江戸城外堀の概要から…隅田川柳橋の神田川河口から辿りまして浅草橋、和泉橋、万世橋、昌平橋、聖橋までが今回の話です。その後、水道橋、飯田橋、ここで神田川とは別れまして、神楽坂下、市ヶ谷、四ツ谷見付、赤坂見付、ここからは外堀通りで溜…
「それつけ、やれつけ」とか「銀猫、金猫」で有名なお江戸の繁華街東両国はいささか危い盛り場でした。両国花火、回向院境内に始った相撲の街でもあり、また、鉄道好きの人には東武鉄道が明治37年には始発駅両国、亀戸間は総武鉄道に乗り入れて現在の東武…
突然、なにやら変なテーマで書き込みますが、実は私にとって全く理解できない事件…平成9年に渋谷区円山で起きた東電OL殺人事件でした。 それとテレビタレントの元衆議院議員立候補者であった野村沙知代の渡世術ですが、共ににTV、新聞、雑誌等で既に周…
最近はもう云いたくもない、聞きたくも無い話に”欠管総理”の去就と、二年続きの暑さです。熱暑も日暮れて夕涼み、などと昔の風情さえ消え失せました。…と云うわけで、エアコンを頼りに戦国絵巻の世界へ。 前回は敗走する足利尊氏が、からくも一命を取りとめ…
足利尊氏と云えば太平記の世界ですが、もし東京浅草の要害が無ければ征夷大将軍足利尊氏は新田氏に討たれたか、自害していたかも。東京浅草に中世の武将足利尊氏の生死を分けた古戦場が存在したとは!歴史のロマンを感じます。 隅田川浅草今戸と待乳山 なに…
今流行のクルージングは豪華客船の旅の事でしょう.。ホテルのようなキャビン、デイナー、パーティーと豪華なホールでの社交を楽しむセレブな世界のようですが、私のお薦めは正反対の驚くべきチープな船旅で潮気を満喫する海好き船好きの願望を目的としたもの…
寛永3年(1626)崇源院お江与の方霊廟建立で始った増上寺徳川将軍霊廟は明治10年(1877)皇女和宮静寛院が逝去、宮内省の手で14代将軍家茂宝塔に並べて葬られる迄の251年間利用された事になります。昭和20年の東京空襲で焼失、昭和33年…
管首相の浜岡原発即時停止要請に始まり、ストレステスト、とどのつまりが脱原発の発言と矢継ぎ早の放言に国会は為すすべもなく機能しておりません。…私のようなお江戸探索が趣味の人間にとって思い当たったのが、幕末慶応三年まで毎年四月十五日の日光東照宮…
三代将軍家光と大御所さま秀忠が京都二条城に上洛中の寛永3年9月15日お江与の方は江戸城西の丸で亡くなります。遺骸は9月18日増上寺におくられ、程近い麻布我善坊谷で盛大な荼毘に付し増上寺境内に巨大な宝篋印塔を建て胴中に遺骨は葬られました。…人…
増上寺に係わる話しでは、複雑な歴史経緯からも簡単に終らないのが常でございますが、”江”と”秀忠”の眠る場所でもあり今回は取り上げる事にいたしました。 私は最近書くブログのテーマがお寺さんとか人物の生死に係わる話しが多いのを気に留めておりました。…
驚きました。先日小塚原延命院の首切り地蔵が蓮の台(うてな)を残し忽然と消滅した光景に出逢いました。実は東日本大震災で左腕が落下し倒壊の危険から解体修復工事を始めたのです。花崗岩27個を積み上げ寛保元年(1741)に建立された、このお地蔵様…
新吉原遊郭の遊女の投げ込寺として有名な淨閑寺です。葬られた女性達の生涯は『生まれては苦界、死しては浄閑寺』と悼む心は現代にも語り継がれております。… 淨閑寺参詣で実在した歴史の一端に触れ、境内に眠る女性達には仏様の慈悲と救済をお願いするばか…
先日の吉原旧遊郭跡の残滓探訪でソ-プランドの店先で客引きする吉原名物黒服さんを見て、遊郭時代の若い衆(わかいし),妓夫太郎(ぎゅうたろう)を思いだしました。やはりこの街独特の仕来たりが今でも受け継がれているのでしょうか?遊郭時代の見世先で今…
昭和32年売春防止法執行で吉原の紅灯は消えた筈でしたが、現代ではソープランドの都内屈指の地域です。トルコ風呂と称した初期は、どの程度のサービスかは多少は知識も在りましたが、現代のソープの密室の中の事は私には手が負えません。 広重 名所江戸百…
スカイツリーテレビ塔もどうやら全容を現し完成に急ピッチの段階です。 おそらく観光資源として浅草、大川(隅田川)、向島の三位一体でお江戸文化がクロズアップされる事になるのでしょう。…… 太古の昔、海の中からお出ましになった聖観音菩薩像の信仰が江…
かの寅さんのセリフ《やけのやんぱち、日焼けの茄子(なすび)私や入れ歯で歯が立たない》…羽田空港は今や成田を凌駕する大空港に変貌中です。が私には飛行機に乗る必要も、御用も無く、ましてやピカピカの大建築は苦手な存在で”歯が立たない”となりました。…
現代でも熱烈な蒸気機関車フアンは絶えることなく多数存在いたしますが、私も昭和34年頃、山陽本線の徳山や北海道小樽で踏み切りを通過するC62蒸気機関車の巨体をなぜか甘い記憶として今でも残っております。…… 18世紀から19世紀に英国に興った産業…
それでは今回は日本橋三井タワーの交差点(街道追分)を右折して日光街道、奥州街道に入り江戸時代の日本橋の中心地大伝馬町へ移動します。……その前に日本橋には徳川家康入府以前に被差別民の頭領”弾左衛門”が日本橋室町(日本橋尼店)に居を構えお仕置き場…