[事件事故] 江戸城外堀(3)−5  葛西船の残滓と赤坂紀尾井坂事件簿。

外堀通り神田川御茶ノ水渓谷沿いを水道橋交差点へまいりますと、いまだに記憶に残るのは!…端(はな)から大変失礼かと存じますが、塵芥、屎尿を船に積込む清掃局作業所河岸の話です。
昭和40年代迄はこの神田川(外堀)は清掃局作業所の集中地帯でした。 特に水道橋交差点際、都立工芸学校前の作業所は屎尿専門で積込用大ホースで艀(はしけ)に流し込む作業が中央線電車から望見できました。…
お江戸時代の屎尿買い回し「葛西舟」の伝統がこの川筋に脈々と受け継がれていたのです。私の知っている積み込作業所は下流から万世橋鉄道博物館対岸の塵芥処理中継所は確か昭和40年代まで作業をしており、水道橋の屎尿中継所、後楽橋と小石川橋の間には千代田区側と文京区側にそれぞれ塵芥、屎尿の作業所、さらに飯田橋神楽河岸に塵芥中継所があり、まさに神田川は近年までは清掃局塵芥、屎尿処理中継所の銀座通りで、艀がタグボートに曳かれて往来していたのです。 
     
            
上、後楽橋千代田塵芥中継所
下、旧万世橋塵芥処理中継所(東京都資料、清掃100年史より)先の橋は昌平橋


昔の話と思われる方には、…後楽橋先に唯一残る千代田区三崎町塵芥処理中継所の河岸には現在でもタグボート、バージなどが舫って積み込み作業が見られます。 また旧万世橋塵芥処理中継所は神田川左岸千代田清掃事務所附近ですが、都市型中継所として昭和40年頃はビルの内部の船渠にバージを曳き込む屋内作業所でした。……
水道橋から外堀神田川水戸藩邸跡後楽園からその奥には伝通院などありますが、すでにブログで立ち寄っておりますので割愛、…外堀はその先飯田橋交差点附近で神田川と別れ市ケ谷へ、神田川は大曲、江戸川橋から早稲田方面へ…
外堀は中央線市ケ谷駅先から四谷台地を切り開き、四谷御門から赤坂御門へ達します。一方万世橋から外堀沿いを走る中央線電車は台地を開削した外堀に四ッ谷駅のプラットホームを作りトンネルを通じて信濃町駅に抜けます。…
と云うわけで赤坂弁慶橋までの深い外堀を避けて地上へ上がり、この一帯の明治維新の様子に移ります。 四谷駅前の四谷見付橋上からの眺望は右手に迎賓館、左は上智大学構内です。まず迎賓館へ……この地は紀伊徳川家の旧藩邸です。明治新政府はさっそく赤坂御所、離宮として接収し、ここに宮内省と新政府役所「太政官」を開設し要人が出仕いたします。…
……幕末、尊王討幕を掲げる革命軍の長州、薩摩、急進公家の勢いも、佐幕の意志が強く、将軍名代徳川慶喜京都守護職会津藩松平容保を深く信頼する孝明天皇の前で頓挫しますが、天皇により閉門蟄居中の謀略公家岩倉具視の目には天皇は二人居ると映った!…決死の回生シナリオ!邪魔者に御毒をお召し奉り急逝戴き、幼少皇太子を擁立する筋書きは的中、一挙に王政復古、朝敵征伐の偽造大号令となり小心者徳川慶喜の寝返りで江戸幕府は自己壊滅し明治の御一新と相成りました。…と私の自家用歴史観でありますが、岩倉具視の洛北の隠宅へ密かに出入り謀議に加担した人物が薩摩藩大久保利通です。…
この維新達成功労者二人の政府要人に奇禍、暗殺事件が太政官への登庁道筋で起こります。
●明治七年一月十四日夜岩倉具視は弁慶濠と四谷濠を分ける筋違い坂で馬車が刺客に襲われますが脱出転落し四ツ谷濠(現、上智大学グランド)水中に難を逃れ幸運にも一命を取り留める事になりました。この筋違坂は今も原形を保つ道で外堀からの高さは数十メートルあります。
注)筋違い坂→迎賓館脇の外堀通りから紀尾井町やホテルオータニ正面に抜ける道で、外堀通りには現在も太政官(御所)の御門が残されている。 次いで… 
●明治十一年五月十四日には参議、内務郷大久保利通の馬車が紀尾井坂下清水谷で刺客六名に襲撃され馬丁ともども一命を落とします。
襲撃者は共に御一新後の明治政府高官の権力専横を告発、以下の5罪を挙げています。
【1】国会も憲法も開設せず民権を抑圧している。
【2】法令の朝令暮改が激しく、また官吏の登用に情実・コネが使われている。
【3】不要な土木事業・建築により国費を無駄使いしている。
【4】国を思う志士を排斥して内乱を引き起こした。
【5】外国との条約改正を遂行せず国威を貶めている。 …(wikipedia より)
《襲撃実行者》 島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一、浅井寿篤、以上六名は事を為し、刀を捨て御所内の宮内省に自首出頭し顛末を述べております。……
…単なる幕府と諸藩の権力闘争の様相になった幕末、謀議謀殺を日常とし、孝明天皇謀殺の疑惑さえ受けた者が暗殺される因果応報の定めは仕方のない事、大久保利通にしても人物の有能無能の評価とは別次元の事でしょう。
では、首切り浅右衛門の二代目吉亮が襲撃者の島田一郎、長連豪を斬首した記述。(明治百話 篠田鉱造 岩波文庫
……手前は二十六歳で刀を取りましたが、島田一郎に向かって「何か申残す事でもあれば」と、辞世の詩歌が何かあるだろうと思って問いましたが、「この期に及んで申遺すことはない」とあったのでいかにも無造作に斬ってすてました。
島田も島田でしたが、感心したのは長蓮豪という人、例によって、「何か申残すことは」といいますと、「北方はどちらでしょう」と問うので、その方角を教えてやると、手前の指差す方に、しきりと三拝九拝して、「北方は故郷で、今尚母上がいられる」というのです。いずれは先立つ不孝を詫びたのでしょうが、その心がけには実に感心しました。もっともこの人は永らく西郷翁の許にあって、その感化を受け……とにかく手前などの刀の錆びにするには惜しいような気がしました。
 ……つづく…  ……前へ戻る

江戸城外堀》
(5) 溜池、虎ノ門。 釣り場、渡し舟、どうどう
(4) 赤坂周辺。 小泉八雲、朝鮮李王、藤山愛一郎、横井英樹、力道山、二二六事件など
(3) 葛西船の残滓と赤坂紀尾井坂事件簿
(2) 東京教育大学廃校の珍事 湯島界隈
(1) 柳橋から新橋へ