[地域] 江戸城外堀(2)−5 ”東京教育大学廃校の珍事” 湯島界隈

前回に引き続き、お江戸の茗渓”御茶ノ水渓谷”に由緒のある教育学問の施設など調べてみます。 因みに”茗”とはお茶の雅称だそうで、御茶ノ水渓谷→茗渓と呼んでいたのでしょう。……
先ずは現代でも有名な聖橋の孔子廟です。犬公方こと五代将軍徳川綱吉は元禄三年(1690)上野山内にあった林羅山孔子聖堂と私学塾を移転させて湯島孔子廟と学問所を開設させ、初代大學頭として羅山の孫、林信篤を任命し以後幕府の教育政策を林家に担当させます。
     
            
湯島聖堂

この学問所は100年後の11代将軍家斉の時代寛政9年には幕府直轄の学問所となり昌平黌(こう)あるいは昌平坂学問所と呼ばれております。
明治の御一新後の明治4年(1871)には、これを廃止して明治政府の文部省が当地に誕生しました。近世までの学問の根幹”儒学”を脱し西洋的な近代教育制度の導入が始ります。……湯島聖堂は存続しますが、大正12年の関東大震災で焼失し、再建は戦前の著名建築家伊藤忠太の設計で重厚な孔子廟が誕生、現存しております。…
明治5年には昌平黌跡(現、東京医科歯科大学)に師範学校、明治8年には女子師範学校を桜の馬場跡(現、東京医科歯科大学)に開設。この両校は10年後にそれぞれ東京高等師範、東京高等女子師範学校となり、旧制中学校教員のエリート養成学校とし、更に高等師範の専攻科を発展改組し東京文理科大学が誕生します。昭和4年(1929)でした。
…戦前の大日本帝国時代、国家の人材取り込みには帝国大学を始め陸海軍学校、高師、文理大の系列が挙げられますが、特に陸海軍と高師、文理大の系統は、農民、商工業労働者など庶民層の子弟からも参入できる垂涎のエリート養成コースだったのです。即ち学費、生活費の免除が為されていました。
……今回は多少寄り道して戦後学園紛争の象徴、東京教育大学紛争から廃校にいたる話しに立ち寄ります。……
昭和20年大日本帝国の敗戦を境に戦後教育の大改革、新学制が昭和24年実施され文理大、高師、その他で構成された東京教育大学が発足、東京女子高等師範は御茶ノ水大学に改組され、かなり以前に各校とも文京区大塚3丁目と大塚2丁目に移転しておりました。
そもそも東京文理科大学については、帝国大学に伍する国立大学として存在し、母体である高等師範と共に東京教育大学が発足しますが、文理大側は教養、学術研究を指向、高師側は教員養成大学を指向し学校経営の指針さえ確立できず紛糾するのです。
昭和34年ころから昭和45年(1960−1970)にかけて安保騒動や学園紛争の火炎瓶、鉄パイプ闘争時代には常に教育大学は紛争に明け暮れ、朝永振一郎学長の昭和31年〜昭和37年の黄金期をピークに、先鋭化した筑波移転問題で、慎重派の文学部と積極移転派の理学部、体育学部の教授会が対立し学生自治会も巻き込み全学的な学園紛争に発展し、理学部派学長は機動隊をキャンパス内に常駐させ学園ロックアウトを2年間続けます。 さしもの反対派学生、教授の勢いもそがれ、大学評議会の自主移転決定に持ち込み文部省案が実行されました。
新設筑波大学は移転反対派の文学部教授や革新的教職員を排除して運営される事になり、美濃部亮吉教授は東京都知事として転出、また文学部教授の大半と、検定不合格教科書裁判原告で有名な家永三郎教授は東京教育大学の校名とともに置き去りにされた組です。 この十年以上のトラブルも権力側の勝利で結着、昭和48年国立筑波大学は開校しました。
未だに真相が分らない問題に、東京教育大学の筑波移転の問題は結果的には移転ではなく新設として、当然教職員も継承にあらず、適材採用と云われます。 事実文学部教授の大半は採用されず、丁度JR民営化の時点で国労動労組合員でJR不採用者と同じパタンだったのか、? ところが現在の対応を見ますと東京教育大学筑波大学の前身として処理されているようです。
また当時のマスコミ新聞報道には右翼とされる文部大臣内藤誉三郎が革新的な教授、尖鋭学生自治会追放への策略が実行されたと騒いでおりました。 しかし、根源は戦後の学制改革で出現した東京教育大学にあり、文理大系の教養、学術研究派と高師系の教職員養成至上派の葛藤にあり、他の要素、過激学生運動と革新教授は時代の副産物に過ぎません、この騒動も学園紛争だけに学者先生の行動パタンもセクト学生並のものだったのか?。……つづく…    ……前へ戻る


戦前東京に住んだ人々の情緒「東京ラブソデー」神田駿河台ニコライ堂
 <東京ラプソデー>    作詞 門田ゆたか  作曲 古賀政男
 <JASRACの作詞削除>

江戸城外堀》
(5) 溜池、虎ノ門。 釣り場、渡し舟、どうどう
(4) 赤坂周辺。 小泉八雲、朝鮮李王、藤山愛一郎、横井英樹、力道山、二二六事件など
(3) 葛西船の残滓と赤坂紀尾井坂事件簿
(2) 東京教育大学廃校の珍事 湯島界隈
(1) 柳橋から新橋へ