[人物][風俗]  私娼の生態(3)−3 断腸亭日乗(荷風日記)より その3

最近はTVなどで大阪市長の橋下さんが人気のようです。ま、世間の政治意識とやらも、かの権力にしがみつくだけの管前総理の醜態を目の当りにした危機感の結果でしょうか?、更に滑稽なのは復古調の老人政治家や風任せ議員さん達の抱きつきの様子です。 この人達の同一性は、只の権力指向の惰性行動です御注意を。……
この忙しいのに? 政治の話などで、お茶を濁していないで、もっと高尚なお話”私娼の生態”を初めます。……な、何だ!、ちっとも高尚じゃない、品が悪すぎる!! …まあまあまあ、そ、そうは仰っても、ああた、文豪永井先生のお話ですから、…私奴はただ日記からピックアップするだけが役目でげして、何分御勘弁くださいまし。……
断腸亭日乗昭和3年1月20日 50歳 (1928)
快晴。温暖昨日の如し。正午関君来訪。人形町通舞踏場の景況を語ること頗精細なり。踊子は警察の取締まり厳重にて場内にも刑事入込みをるを以て、舞踏の際には客とはあまり口をきかず、唯踊の相手をなすのみなれど、十時かぎり閉場の後は客のさそふがままにいずこへも行くとの事なり。一夜の相場三拾円位、多きは百円位なり。目下東京には人形町の他に日本橋大口町辺に踊場あり。踊子を雇ひ置く処はこの二箇処のみなりといふ。日の暮れてより西北の風吹きいで門外の打水凍る。燈下読書、二更の後寝に就く。
断腸亭日乗昭和11年2月24日 58歳 (1936)
昨夜霽(はれ)れわたりし空再び曇りて風また寒し。午後徒(いたずら)に眠を貪る。燈刻銀座に往かむとせしが顔洗ふが面倒にて家に留り、夕餉の後物書かむと机に向ひしが何といふ事もなく筆とるに懶く、去年の日記など読返して徒に夜をふかしたり。老懶(ろうらん)とは誠にかくの如き生活をいふなるべし。 芸術の制作慾は肉慾と同じものの如し。
肉慾老年に及びて薄弱となるに従ひ芸術の慾もまたさめ行くは当然の事ならむ。余去年の六、七月頃より色慾頓挫したる事を感じ出したり。その頃渡辺美代とよべる二十四、五の女に月々五十円与へ置きしが、この女世に稀なる淫婦にてその情夫と共にわが家に来り、また余が指定する待合にも夫婦にて出掛け秘戯を演じて見せしこともたびたびなりき。初めのほど三、四度は物めずらしく淫情を挑発せらるることありしが、それにも飽きていつか逢ふことも打絶えたり。去月二十四日の夜わが家に連れ来りし女とは、身上ばなしの哀れなるにやや興味を牽きしが、これ恐らくはわが生涯にて閨中の快楽を恣にせし最終の女なるべし。色慾消磨し尽せば人の最後は遠からさるなり。依てここに終焉の時の事をしるし置かむとす。
……略…
断腸亭日乗昭和11年5月16日 58歳 (1936)
5月16日。曇りて風甚だ冷なり。晡時(ほじ)佐藤春夫氏来る。三笠書房出版「荷風読本」のことにつきてなり。夜銀座に往き不二あいすにはんす。帰途また雨。 玉の井見物の記。(注)ブログ”玉の井案内”(1)と重複しております。…玉の井案内(1)を御覧下さい
断腸亭日乗昭和16年4月29日 63歳 (1941)
朝の中より雨しとしとと降りて静なり。西沢一鳳の『伝奇作書』をよむ。燈刻銀座鳩居堂に至り白扇を購むとするに品切なり。美濃屋にて問へば僅に四、五本残れりといふ。偶然歌川氏に逢ひフロリダ茶店に憩ぶ。……
噂のきき書。 出征軍人の妻また戦死軍人の未亡人に関する醜聞は一切新聞雑誌に記載することを禁ぜらるるを以てかへってこれをよい事にして淫行をなすもの近頃は甚多くなりしといふ。 日本橋区かきがら町に鈴木といふ私娼の置屋あり。 この置屋に住込みかせぎいたる女なにがしといふものは出征兵士の妻なり。夫婦馴合にてかせぎいたるなり。二年あまりして良人は戦地より帰り私娼の妻と共に上野坂本町辺に家を借り妻の妹を田舎より呼寄せ地獄屋をいとなみをれりといふ○浅草興行町の踊子何某は一座の役者の妻なりしが、その役者召集せられ戦地に赴きし後、他の役者といい仲となりついに妊娠するに至れり。先夫帰還の際は八、九ケ月にてかくすにも隠されず、離婚にて無事に話はつきたれど踊子は再び舞台へ出ること能はざるを以て、カッフエーの女給となり今は好き自由に客をとりおれりといふ。
断腸亭日乗昭和18年6月2日 65歳 (1943)
晴。哺下押川氏未亡人及び故人の甥押川昌一氏来話。故春浪子遺著再刊の計画につきてなり。黄昏浅草より向嶋の土手を歩む。……
街談録
公園の芸人某より玉の井の噂をきくに、例のぬけられますとかきし路地の女の相場まづ五円より十円となれり。閨中秘戯に巧みなるもの追々少くなれり。花電車といふ言葉も大方通ぜぬようになりたり。 お客に老人少なくなり青二才の会社員また職工多くなりしためなるべし。
されど七、八百人もいる事なれば中には尺八の上手なものもなきにはあらず。 この土地にて口舌を以ってすることをスモーキングといふ。 一部賑本通西側なる大塚といふ家には去年頃まで広子月子なな子勝子といふ四人いづれも五円にてスモーキング専門の放れわざをなしたり。 只今は時子といふ女一人居残りたり。それより四、五軒先土井といふ家の女も拾五円にて口舌のサービスをするなり。その先市川といふ家にも同様の秘戯をなすもの一人あり。されどこれはお客にもおのれのものを甞めさせねば承知せぬ淫物なり。桑原の店には金さへ出せばのぞかせる女あり。無毛の女はこの土地では案外いそがしくその数も随分あり。一部広瀬方、四部長谷川方にいる女は無毛を売物となし曲取り至って上手なり。 去〃。
断腸亭日乗昭和24年6月15日 71歳 (1949)
晴。 午前木戸氏来話。夕刻より浅草。 仏蘭西映画 La Grande Illusionを見る。 帰途地下鉄入口にて柳島行電車を待つ。マッチにて煙草に火をつけむとすれども川風吹き来りて容易につかず。傍に佇立(たたず)みいたる街娼の一人わたしがつけて上げませう。 あなた。永井先生でせうといふ。 どうして知っているのだと問返すに新聞や何かに写真が出ているじゃないの。『鳩の街』も昨夜よんだわ。わたしこの間まで亀有にいたんです。暫く問答する中電車来りたれば煙草の空箱に百円札参枚入れたるを与へて別れたり。
断腸亭日乗昭和24年6月18日 71歳 (1949)
晴。夕刻いつもの如く大都劇場に至る。 終演後高杉由美子らと福島喫茶店に小憩し地下鉄入口にて別れ独電車を待つ時三日前の夜祝儀若干を与へたる街娼に逢ふ。その経歴をきかむと思ひ吾妻橋上につれ行き暗き川面を眺めつつ問答すること暫くなり。 今宵も参百円ほど与へしに何もしないのにそんなに貰っちゃわるいわよと辞退するを無理に強ひて受取らせ今度早い時ゆっくり遊ばうと言ひて別れぬ。 年は廿一、二なるべし。その悪ずれせざる様子の可憐なることそぞろに惻隠の情をも催さひむ。不幸なる女の身上を探聞し小説の種にして稿料を貪らんとするわが心底こそ売春の行為よりもかへって浅間しき限りと言うべきなり。
 この日を限り日乗には私娼生態に拘る記事は見つけられませんでした。……最後の二三行は私にはほっとするものがあります。…荷風さんといえども、吾が来し方を、見詰めた述懐だったのでしょうか。……
……以上、荷風日記から「私娼の生態」を活写した記載で、戦前社会(伝統社会)と女性の立場、環境の実態が解るのです。……おわり…   
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《私娼の生態》
(3) 断腸亭日乗(荷風日記)より その3
(2) 断腸亭日乗(荷風日記)より その2
(1) 断腸亭日乗(荷風日記)より その1