[人物][風俗]  私娼の生態(1)−3 断腸亭日乗(荷風日記)より その1

御年輩には文学者、文化勲章受章者でもあった、永井荷風さんは周知のお方でしょう。 また、慶応義塾大学の文学部主任教授の教育者、三田文学主宰者の経歴もあり、彼の講義の影響をうけた人材には佐藤春夫小泉信三久保田万太郎、松本泰、水上瀧太郎などがいます。 しかし荷風さんは現在で云う高学歴者ではなく、第一高等学校の受験に失敗しており、されども、その教養は資質によるものか? 江戸明治の知的上流階層の家庭に生れた必然なのか?、……

  永井荷風("Nowadays Japanese Literatures" vol.22, issued 1927 by "Kaizousha")
一面、荷風さんの人格は、と云えば、世間では日常生活の断片から、所謂…反骨者、変人、ひねくれ者、放蕩者、エゴイスト、けち、などと散々でした。 が、彼の作品、随筆、小説を示されれば、結論は優れた文学者としか云えません。
私は荷風日記(断腸亭日乗)を読んで、気が付いたことは、優れた作品を生む一端には自らの赤裸々な心情を憚る事も無く平然と露呈する神経は強固辛辣であり、世間の人々に対しても、かなり手強い観察をしているよう見えるのです。
また、特に女性風俗の情報収集力が突出しております。それと日常散策での行きずりの人、バス電車の乗客でさえ観察の対象で、多様な人々の風体、仕草、感情、表情など飽くことも無く収集しているのが分ります。 日記にも、或る駅の雑踏の片隅で別れ難い男女の風情を眺めると、成行顛末を傍らから観察する様などがあります。
たかが自分個人の思慮分別程度では 百人百態の人間の行為との乖離を御存知の事だったのか!、…明治大正昭和の東京を知るには荷風さんの作品を読むのが第一番と評される所以は、文中に秘められた状況描写の巧みさと叙情の存在があるようです。…… 色々前置きが長くなりましたが、 ただ親の遺産で放蕩、荒淫を楽しむだけの人なのか? 資産家が金の力で冷酷に女性という物体の観察の遍歴か? などと批判する文士が結構いたのですが!、…問題点を残したままで始めます。
では、テーマの大正昭和の私娼の生態を荷風日記の抜粋で探求してみましょう。 が、その前に永井荷風自身の女性遍歴が断腸亭日乗に詳細に記されており、アメリカ、フランスから帰朝後1912年(大正元年)から58歳の1936年(昭和11年)の間の事です。…彼の結婚生活は23歳で商家の令嬢と結婚離婚、直ぐに新橋芸者”八重次”と結婚離婚など、各々8ヶ月程度でした。 荷風は既に18歳で吉原遊郭に登楼、居続けの遊びや、20歳頃は浅草寺境内の私娼の話、随筆”葡萄棚”を残しております。  
断腸亭日乗昭和11年 1月30日
略………つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染みを重ねたる女を左に列挙すべし。 
、鈴木 かつ…柳橋芸者にて余と知り合いになりて後間もなく請負師の妾となり、向島曳舟通に囲はれいたり、明治41年のころ
2、蔵田 よし…浜町不動新道の私娼明治42年の正月より11月頃まで馴染めたり、大蔵省官吏の女
3、吉野 こう…新橋新翁家富松明治42年夏より翌年9月頃までこの女の事は余が随筆『冬の蝿』に書きたればここに贅せず
4、内田 八重…新橋巴家八重次明治43年10月より大正4年まで、一時手を切り大正9年頃半年ばかり焼棒杭、大正11年頃より全く関係なし新潟すし屋の女
5、米田 みよ…新橋花家(成田家か不明)の抱、芸名失念せり、大正4年12月晦日五百円にて親元身受、実父日本橋亀島町大工なり、大正5年正月より8月まで浅草代地河岸にかこひ置きし後神楽坂寺内に松園といふ待合を営ませ置くこと3ケ月ばかりにて手を切る、震災後玉の井に店を出せし由
6、中村 ふさ…初神楽坂照武蔵の抱、芸名失念せり、大正5年12月晦日三百円にて親元身受をなす、一時新富町亀大黒方へあづけ置き大正6年中大久保の家にて召使ひたり、大正9年以後実姉と共に四谷にて中花武蔵といふ芸者家をいとなみおりしがいつの頃にや発狂し松沢病院にて死亡せりといふ、余これを聞きしは昭和6年頃なり、実父洋服仕立師
8、野中 直…大正14年中赤坂新町に囲置きたる女初神田錦町に住める私娼なり、茅ヶ崎農家の女
7、今村 栄…新富町金貸富吉某の身寄りの女、虎ノ門女学校卒業生なりといふ、一時書家高林五峯の妾といふ、大正12年震災ご10月より翌年11月まど麻布の家に置きたり、当年25歳
13、関根 うた…麹町富士見町川岸家抱鈴龍、昭和2年9月壱千円にて身受、飯倉八幡町に囲い置きたる後昭和3年4月頃より富士見町にて待合幾代といふ店を出させてやりたり、昭和6年手を切る、日記に詳なればここにしるさず、実父上野桜木町町会事務員
12、清元 秀梅…初清元梅吉内弟子、大正11年頃折々出会ひたる女なり、本名失念大阪商人の娘
11、白鳩 銀子…本名田村智子大正9年頃折々出会う陸軍中将田村の□□□三女
15、黒沢 きみ…本名中山しん、市内諸処の待合に出入する私娼、昭和8年暮れより9年中毎月五十円にて三、四回出会ひたり、明治42年生砲兵工廠職工の女
16、渡辺 美代…本名不明、渋谷宮下町に住み夫婦二人づれにて待合に来り秘戯を見せる、昭和9年暮より10年秋まで毎月五十円をやり折々出会ひたる女なり、年24歳
この外臨時のもの挙ぐる遑(いとま)あらず、
9、大竹 とみ…大正14年暮より翌年7月まで江戸見坂下に囲ひ置きたる私娼
10、古田 ひさ…銀座タイガ女給大正15年中
14、山路 さん子…神楽坂新見番芸妓さん子本名失念す昭和5年8月壱千円にて身受同年12月四谷追分播磨家へあづけ置きたり昭和6年9月手を切る松戸町小料理家の女。

永井荷風さんは50歳で迎えた大晦日に自らの越し方を述懐して下記の日記を残しております
断腸亭日乗昭和3年12月31日
略…………予生来身体強健ならず膂力なきが故に人と争ひ人を傷つけしことなし。家に些小の恒産あるを以て金銭のことにて人に迷惑をかけたることなし。女好きなれど処女を犯したることなくまた道ならぬ恋をなしたる事なし。五十年の生涯を顧みて夢見のわるい事一つも為したることなし。 これまた幸いなる身の上なりといふべし。 東の窓少しあかるくなり牛乳配達夫の木戸あけたる音の聞こえ足れば、除夜の繰言もまずこのくらいにして五十一年の春を迎ふべしといふ。
テーマ”私娼の生態”のピックアップは…… つづく… 

《私娼の生態》
(3) 断腸亭日乗(荷風日記)より その3
(2) 断腸亭日乗(荷風日記)より その2
(1) 断腸亭日乗(荷風日記)より その1