[風俗] 遊郭 赤線 青線(8)−12 吉原遊郭 裏方従業員

先日の吉原旧遊郭跡の残滓探訪でソ-プランドの店先で客引きする吉原名物黒服さんを見て、遊郭時代の若い衆(わかいし),妓夫太郎(ぎゅうたろう)を思いだしました。やはりこの街独特の仕来たりが今でも受け継がれているのでしょうか?遊郭時代の見世先で今東光さんがサトウハチロウさんと偶然出遇いますが、(今東光著吉原哀歓より)……「や。ハチローじゃねえか」「あれっ」とサトウ.ハチローは大袈裟な身振りをすると、「とんだところに北村大膳」と河内山宗俊の科白で誤魔化す算段か。
「いよオ。先生方」と傍の妓夫太郎は急に手揉みをしながら僕らに近づいて来た。「どうでげす。口開けでござんすから四の五の仰有(おっしゃ)らずにとんとんと威勢よくお上んなすっておくんなせえ。好い妓がお待ちして居りますんで。へえ、それに初見世の妓、それが頗る優物でげして」……吾々三人は幅の広い梯子段をとんとんと音立てて上がり、大広間に通された。入って来た遣り手婆はハチローを見ると、「あら。まあ、ハッチャン。番頭が通したのかい」いささか刺(とげ)のある声で咎めるような口調で言った。「あ。通してくれたよ」「変だねえ」……と今東光さん達を妓夫太郎が口説く場面がありました。いきさつはブログ”現代消え去った職業2 公娼私娼”を御覧下さい。…
今では本当の意味で遊郭体験者は大正生まれか、昭和初年あたりに限られてしまいますが、六代目三遊亭円生さんが書き残した江戸散歩(下)朝日文庫を調べてみました。遊郭の若い衆、妓夫太郎の華は客引き(立番)らしいのです。金があるのや、無いのやら、危ない遊び人など、お客の正体は身装(みなり)では一寸分らないものが在るそうでして、……そういう時はお客様の手を握ったり何かして、「まあまあまあ、何ですよ大将、いいじゃあございませんか。あすんでって下さいよ」なんて ンで、両手で向うの右の手なら右の手をつかんでこう……はなしをする。何かこの親しみを持っているという……そうじゃないんで、これは手が固いか柔らかいか、柔らかい手をしていればあァこれはもう博奕打ちか芸人かそういったようなもんで。つまりどんなににょろっとした身装(みなり)をしていても手にまめがあるとか何かというてえと。あァこりャ何かをする人……職人だとか拵える人だってのが分るんですが。……では見世の若い衆(し)の仕事を分断してみます。
「見世(みせ)」→一番幅のきく役目、店長(支配人)。
「立番(たちばん)」→店先の客引き若い衆のこと。店に客を上げる、上げないは立番の技量責任になり2番目に重要な仕事。
「本仲(ほんなか)」→お客の飲み食い(台の物など)支出を計算し明細書を示して勘定を受け取ったりする、お金を扱うので余得が多い仕事ですが、破目を外して勘定が不足した客に付いて行き集金する”付き馬”の役目もあり苦労があります。落語『付き馬』は一枚上手の客にひどい目に遇わされた付き馬の噺し。
その他に「追廻」、大見世では「書記」、「床番」などが居ます。更に女の裏方と言えば「おばさん」とよばれる「遣り手婆」です。
「おばさん」とは年期をあけたお女郎さんですが、言い交わした男がいないで身の振り先がない、いわば閻魔大王が死んだのと同じ?と円生さんは書いてますが、店に居ついて、お女郎さんの客扱いをスムーズにする為のコーチ役、従って手馴れた客は”おばさん”に心付けをして都合よく便宜を図ってもらいますが、気の付かない客は冷遇されてしまいます。……と昔の遊郭では裏方さん達それぞれの実入りは楼主からの賃金ではなく、永い仕来たりからの余得で生活するようになっていたとされます。
お江戸から昭和20年の敗戦まで遊郭を認めてきた日本国ですが、敗戦で一変し、マッカーサー司令部より公娼制度が廃止されました。出現したのが赤線です。殆どが旧遊郭跡に在り、これは警察主管による風俗業ですが、明らかに遊郭の代替施設で警察指定モデルの建物で営業します。一階はバー形式のホール、カウンター、酒壜など並べたスペースは必須で、外装はタイル張り、ドアー窓まで体裁が指定された特殊飲食店と呼ばれるもので、女店員が娼婦です。しかし警察は売春を認める訳にはまいりません。では警察の説明とは……日本国は民主主義の時代になりました。女店員には人権と云うものがあり、お客さんと女店員が恋愛するのは自由なのです。そこで店主は好意で、このカップルに恋愛場所を提供いたします。お客は愛のしるし、お金を女性にプレゼントいたします、女性は店主の好意に多少のお金で謝意を表すのです。売春など存在いたしません!……何か聞いたような話しですが、私には現在のパチンコ屋と警察の関係が頭にうかびました。如何でしょうか?。
話は本題に戻りまして赤線時代になりますと女性が恋愛体験業の主体となり直接店先に立ち、遊客に声をかけキャッチしますが、唯一の御法度は店外に足を踏み出す事です。…そしてお部屋に案内、恋愛体験をさせる前に客から集金して帳場(「見世」、支配人)に収めます。従いまして「立番」「本仲」「遣り手婆」「床番」など遊郭時代の裏方さんは消えてしまいました。……
時は移り昭和32年になりますと売春防止法の執行で赤線も消え、旧吉原遊郭跡には忽然とソ-プランドの一大繁盛地となります。私などお呼びでない者には白昼軒ごとにたたずむ黒服さんにはいささか辟易しますが、奇しくも遊郭時代伝統の「立番」若い衆が復活したのでしょうか?…現代版”妓夫太郎”の実体は案外面白いものが在るのかも知れません。。……次へつづく… ……前へ戻る

遊郭 赤線 青線》
(12) 元吉原遊郭 遊郭という街が出来た
(11) 遊廓という街があった-2
(10) 遊郭という街があった-1
(9) 吉原遊女 投げこみ寺、淨閑寺昨今
(8) 吉原遊郭 裏方従業員
(7) 現代吉原遊郭変遷 ソープ街を歩く
(6) 玉の井案内 向島と濹東綺譚
(5) 玉の井案内 私娼街の魅力 山本嘉次郎さんとエノケン
(4) 玉の井案内 夢か現か(うつつか)幻か。
(3) 現代異端ストリートガール(街娼)考
(2) 著名文士と青線、遊郭の女達-2
(1) 著名文士が接した赤線の女達-1