[地域][交通流通][歴史]  羽田空港由来談

かの寅さんのセリフ《やけのやんぱち、日焼けの茄子(なすび)私や入れ歯で歯が立たない》…羽田空港は今や成田を凌駕する大空港に変貌中です。が私には飛行機に乗る必要も、御用も無く、ましてやピカピカの大建築は苦手な存在で”歯が立たない”となりました。”そこで忠治は考えた”と…由来談なら昔のお話は当たり前、早速始める事に致しましょう。……

東京国際空港 photo by the Flickr
現代の御時世、羽田と言えば東京国際空港で決まりですが、由来の探索ですから羽田五丁目の穴森稲荷神社からです。そう云いましても、この神社さんの御社は戦後生まれで、かのマッカーサー元帥より遥かに新しいのです。…ではお稲荷さんは何処から御出ましになったのか?と云う事になります。
江戸時代の多摩川(六郷川)河口左岸(江戸側)突端部分に漁業と湊、廻船で繁盛した羽田猟師町と云う集落があり、羽田浦とも云われた場所で現在の羽田6丁目付近になります。
この集落と海老取川を挟んだ河口デルタの湿地を名主鈴木弥五右衛門が埋め立て造成した土地が現在の羽田空港の核になった場所で羽田猟師町鈴木新田と云われ、懐かしい旧東京国際空港ターミナルビル付近一帯になります。吾が”寅さん”の啖呵に、物の始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、泥棒の始まりは石川の五右衛門と……だとすると、羽田飛行場の始まりは穴守稲荷のお狐さんと係わりがあるのです。
なぜか?…文政元年(1818)頃、この埋立地の堤防が波浪でしばしば穴が空き難渋しましたので稲荷大明神を勧請して祈願致しますと”あな畏(かしこ)”御神徳もあらたかに堤防決壊はなくなり、それからは文字道理の『穴守稲荷神社』と称し、鈴木新田の守護神として崇敬されました。 旧ターミナルの時代に大駐車場に大きな赤い鳥居が残っていたのを御存知の方も多いかと思います。
江戸も終り明治に入りますと追々門前町として鈴木町、穴守町、江戸見町、が形成されて鴨猟場、海水浴場、潮干狩りが行われ、明治29年に至り鉱泉が発見されるや一躍、レジャー、歓楽街が出現します。京急電鉄も海老取川手前まで開通して更に大正2年(1913)には川を渡り穴守稲荷門前町に乗り入れました。
この鈴木新田と飛行場の関りは何時頃の事になるのか調べてみましょう。
東京国際空港の前身は国営民間専用飛行場として昭和6年(1931)東京府荏原郡羽田町鈴木新田江戸見崎に当初300m×15mの滑走路一本で開業した東京飛行場(羽田飛行場)です。
開業後国内、極東地域へ空路は開けますが、昭和16年の戦争拡大から民間航空は中断され軍用飛行場になり、更に敗戦直後米陸軍に接収されます。米軍は直ちに近代的空港として飛行場の整備大改修を行い、HANEDA ARMY AIRBASEが完成されます。昭和22年には外国民間航空会社の乗り入れを許され営業始めますが、日本人による民間航空は占領軍により禁止されておりました。昭和27年(1952)の講和条約発効以前の11年間羽田は日本とアメリカの軍用飛行場だったのです。

羽田空港ターミナルビル
そして独立国日本に返還後は民間航空機用の東京国際空港と名称して運用され、昭和36年(1964)のオリンピック開催を目指し更なる大改修が行われ一新します。 しかし、その後は航空機の増便、大型化にともなう騒音公害の解決策として国際線は分離し成田移転、更には昨今の東京国際空港沖合い移転による空港機能拡充整備の段階で馴染みの深い旧ターミナル施設など跡形もなく消滅し、羽田旧駐車場名物、穴守稲荷赤鳥居は今では弁天橋際に移転保存されております。

            
穴守稲荷と羽田6丁目船溜まり
おっと忘れておりました。 肝心な穴守稲荷大明神に戻りますと、敗戦直後、羽田飛行場を占領したアメリ進駐軍は昭和20年9月21日に羽田鈴木町、穴守町、江戸見町1200世帯、住民3000人に対して48時間以内の立退き命令が出されます。住民は無条件降伏の深刻な現実を突きつけられ旧鈴木新田から退去して行きます。
勿論、米軍の前にはお稲荷様とて例外ではありませんでした。なにしろ稲荷大明神として正一位を授けた朝廷の子孫、昭和天皇自身が昭和20年(1945)9月27日、アメリカ大使館にマッカーサー元帥をお訪ねし、色々お願いした立場ですから
しかしながら、飛行場用地から大恩あるお稲荷さんを追い出した米軍関係者に罰が当った話は一向に聞いた事はなく日本の神様の御威光は外国人には無効なのかも知れません。 それでも穴守稲荷大明神は信者の努力で無事現在の地、羽田5丁目2番地に御遷座いただきました。
……そこで、大きな声では言えないのですが!神社さんも公にしていない御利益があります。それは穴に関係する事? とは国営競馬を初めとする種々の賭博と、よく解りませんが?花柳界の人々に人気の神様だそうです。 ……ここで”はっと”気が付いた事は更なる御利益を戴ける可能性があります。?
なぜか!…昔から人の肉体は”百骸九竅”(ひゃくがいきゅうきょう)多くの骨と九つの穴(二目二耳二鼻一口二孔)で成り立つと云われますが、正一位穴守稲荷ならばこそ我ら日本人の九穴を病から守られる事必然と考えました。その辺りでお悩みの方は飛行場の帰りにでもお立ち寄り、お願いしてみるのも方法でしょう。 鳥居のそばで、石の狐がお出迎えしております。!