歴史
足利尊氏と云えば太平記の世界ですが、もし東京浅草の要害が無ければ征夷大将軍足利尊氏は新田氏に討たれたか、自害していたかも。東京浅草に中世の武将足利尊氏の生死を分けた古戦場が存在したとは!歴史のロマンを感じます。 隅田川浅草今戸と待乳山 なに…
驚きました。先日小塚原延命院の首切り地蔵が蓮の台(うてな)を残し忽然と消滅した光景に出逢いました。実は東日本大震災で左腕が落下し倒壊の危険から解体修復工事を始めたのです。花崗岩27個を積み上げ寛保元年(1741)に建立された、このお地蔵様…
敗戦後、重要施設は占領軍に接収され敗戦国民は焼け跡にバラックを建て、食なし、職なし、住居なし、オールナッシングの東京でした。当時の飢餓社会は昭和21年(1946)5月19日皇居前広場に25万人が参加し食料メーデーが開催されます。占領下とは…
スカイツリーテレビ塔もどうやら全容を現し完成に急ピッチの段階です。 おそらく観光資源として浅草、大川(隅田川)、向島の三位一体でお江戸文化がクロズアップされる事になるのでしょう。…… 太古の昔、海の中からお出ましになった聖観音菩薩像の信仰が江…
かの寅さんのセリフ《やけのやんぱち、日焼けの茄子(なすび)私や入れ歯で歯が立たない》…羽田空港は今や成田を凌駕する大空港に変貌中です。が私には飛行機に乗る必要も、御用も無く、ましてやピカピカの大建築は苦手な存在で”歯が立たない”となりました。…
それでは今回は日本橋三井タワーの交差点(街道追分)を右折して日光街道、奥州街道に入り江戸時代の日本橋の中心地大伝馬町へ移動します。……その前に日本橋には徳川家康入府以前に被差別民の頭領”弾左衛門”が日本橋室町(日本橋尼店)に居を構えお仕置き場…
江戸幕府制定の五街道の中心点「日本橋」北詰めから日光街道、中山道、奥州街道、甲州街道が始り、南詰めからは東海道となります。 今では橋の北詰め交差点に三越の新館が建てられ流石に三井さんの城下町の感が致します。さらに旧街道の変わり果てた姿?の中…
東京では昔から広大な地域が日本橋と称しております。橋を中心にした概念的な日本橋一帯以外でも、現在地名に日本橋を冠している町は隅田川畔にまで及ぶのです。町名を揚げてみますと、日本橋大伝馬町、日本橋小伝馬町、日本橋兜町、日本橋茅場町から日本橋…
東京都庭園後楽園(小石川水戸藩邸)につきましては水戸藩2代藩主徳川光圀が朱舜水に心酔し、その意見と設計を取り込んだ庭園で円月橋、西湖堤など中国風物を組み込み、また神田川上水を引き入れております。また庭園内には密かに「陰陽石」を据えておりま…
福島県選出の渡部恒三民主党最高顧問さんは自ら政界の水戸黄門を任じ新聞と昵懇の仲間として発言しておりましたが、福島原発事故以来、所在も定かでないようです。私も福島原発と政治家の絡みをWebでチェックすると…渡部恒三と甥の県知事佐藤雄平糾弾で大騒…
JR埼京線板橋駅東口前広場の向かい側には新撰組近藤勇、土方歳三、永倉新八の巨大石碑の墓が祀られております。 この一帯は板橋宿の下宿(平尾宿)の外れで近藤勇終焉の地…新政府軍に処刑された地域になります。 ちょっと気になったのは江戸帰還後、局長と…
明治維新の改革は近代国家日本国の勃興期として意義のある時代と評価されております。 しかしながらこの時期は又封建的な大日本帝国の草創期でもあり、…ちょっと見逃せない策謀として、維新戦争の勝者の薩長公家は国家支配に神様、、、神格化した天皇を絶対…
私達が楽しんでいる映画、TVなどの時代劇では日常生活の彼方、歴史の話として血塗れた戦い、切腹、磔、斬首、のシーンも何気なく見過ごしているのが普通かも知れません。 そこで実際の歴史、明治維新までの話しとして、浅草弾左衛門新町役所の職掌の一端、…
昭和20年、敗戦を迎えて国民に甚大な犠牲を強いた戦争の時代は終り、アメリカンデモクラシーの占領時代を経過、新憲法と共に人権が重要な根幹となる民主主義社会が実現してまいりました。 しかし人間社会の実情は!、未だ侵害は差別、人権問題として常に身…
ここまで話が進みましたが、実は敗戦後昭和20年代も屎尿処理に係る慣習は江戸時代とさほど変化はなく似た状況が続いておりました。 では、ものは序でと御婦人の習慣も覗いてみましょう。 寅さんのセリフにも、『…四谷、赤坂、麹町、ちゃらちゃら流れる御茶…
現代日本人の清潔志向は色々と話題になり外国人の話からも窺えますが、私達戦中派の体験からは糞尿と切っても切れない日本人の生活実態があるのです。今回は江戸東京の糞尿譚から下水道、更にはウオッシャブルトイレに至る経緯を眺めてみました。 それでは昔…
オート三輪の話もこれで3回目になりましたが、モータリゼーション全盛の現今、先端技術の結晶になるイージードライブを楽しまれる方々も多い事でしょう。 反面、ベーシックな操作が必要な自動車、オート三輪を比較するのも面白いと思います。 私が今考えた…
昭和2,30年代に比べ、世情モータリゼイションの変化は自動車所有の普遍化と、その成行きとして、自動車運転操作が、ごく日常的な生活になりました。 しかし、エンジン部分のメカニズムは電子化して、いつの間にか運転者にはアンタッチャブルな領域に為っ…
夏は暑いものとは承知の上ですが、殊更に暑い暑いで毎日を過ごしております。季節柄、趣味のお江戸東京探索歩行もままならず、ブログに逃避では?決してありません!が、よろしくお願い致します。… 今では物流大手の御存知”佐川急便”の創業者はリヤカーを引…