[地域][江戸] 蔵の街 栃木市(1)−4 お江戸の時代と蔵の街

栃木市は東京から東武電車で約1時間の場所にあります。……
明治維新廃藩置県後栃木県と宇都宮県が明治六年(1873)合併現在の栃木県になり、発足当初の県庁は栃木町でしたが明治17年に宇都宮町に移転、実行したのは維新の栃木県令三島通庸でした。 何か腑に落ちずよく考えますと東北本線宇都宮駅が開通したのが明治18年ですから交通の要衝としての地の利を勘案したのかも知れません。先を急ぎます。…
特筆すべき名所としては、松尾芭蕉さんも憧れた歌枕の地”室の八島”大神神社栃木市惣社町に存在、「奥の細道」でも立ち寄られた場所は私にも外せないのですが、後程に致します。 
    


県名を冠した県庁所在地ではないのが特徴の栃木市ですが、江戸以来の数々の歴史を織り込んだ佇まいがユニークな事柄を秘めて現代に受け継がれた街です。 市街を貫く清流巴波川(うずまがわ)の舟運と日光例幣使街道の利便で物資の集積地となりお江戸との交流で産を成した豪商の街として蔵などの遺構が随所に、明治大正期の古風な洋館建築も散在して例幣使街道の街並みなどは栃木市まで来なくてはお目にかかれない歴史のプレゼントでしょう。
特産の麻や木材、醸造、米麦など物資の集散で富を得た豪商の築き上げた風格のある見世蔵、蔵が残され私達に非日常の街並みが歴史を語りかけ、充実した観光都市を目指してよく整備された快適な街に変貌しております。
さらにこの街の奥深さは歴史を引き摺る町筋、例幣使街道などは日光の東照宮天皇の御幣を奉納する公家の特使、例幣使の一行が毎年東照大権の大祭に合わせ、行列が通過し、その公家の生態が語り継がれ、或いは幕末水戸藩九代藩主斉昭(烈公)の位牌を奉持する尊攘過激派集団、俗称天狗党の一派が栃木を襲い火付け強盗の資金徴収など街道を跋扈するさまが語り継がれております。後程詳しく調べて見ますが…、京都では幕府と尊攘派薩長が繰り広げた歴史舞台を他所にローカルな事件こそ維新の真実を語っているようにも思えます。

栃木市には一点豪華主義の城郭や大伽藍などは在りませんが歴史の街の遺構を楽しむ散策の略図を作りましたので御参照ください。駅前大通りと巴波川(うずまがわ)を基準にすれば大体のロケーションは分るのではないでしょうか。……先ずは栃木駅構内の市観光案内所に立ち寄り地図パンフを必ず貰って下さい。…健脚のお方は栃木駅から街の中心街の広い道には観光客向きの休憩所、土産物、商店や土蔵の見せ蔵など広い歩道をゆっくりと楽しみ、パンフ地図を参照しながら観光施設に寄り道してください。中でも栃木山車会館は絢爛豪華な栃木名物の祭礼記録や山車の展示ですが、東京も華のお江戸の時代は町方自慢の山車が祭礼の華でしたが、維新後は市電のトロリー線で山王祭り山車の巡幸が出来ず廃止された経緯があります。この時譲り受けたお江戸伝統の山車が一、二栃木市に伝来実在し江戸文化の一端を見る事ができます。
     
上) 油伝味噌蔵 味噌田楽店 下) 日光例幣使街道街並み



《蔵の街栃木市
(4) 急襲水戸天狗党の放火殺戮 
(3) 例幣使事件と公家の実体 
(2) 惣社町”室の八島”大神神社 
(1) お江戸の時代と蔵の街