[地域][風俗] 横須賀事情(8)−9 洋パン嬢とオンリーさん

戦後風俗は特殊飲食店と云われた赤線、その他に青線が存在しました。 御存知かと思いますが江戸幕府以来の遊郭大日本帝国敗戦まで公娼制度として営業してまいりました。
しかし、この制度は昭和20年8月、日本を占領したマッカーサー司令官の命令、日本軍の武装解除戦争犯罪人の逮捕、政治犯の釈放、財閥解体、農地解放、戦争協力者の追放、男女平等、公娼、遊郭制度の廃止となり遊郭は消滅します。
占領下アメリカンデモクラシーの下、公娼制度と共に人身売買は禁止されましたが、売春行為は存続され、公娼(遊郭)の受け皿として私娼として赤線、青線が出現、敗戦後の都市地方隈なく全国で繁盛するのです。
この自由時代到来の象徴として赤線、青線のアウトサイダー、…パンパンガールと呼ばれるフリーランスの売春女性群が出現いたしました。…
膨大な占領アメリカ軍のG.I (兵士) 相手の女性<洋パン>が主流派でその他、街角に佇む街娼もパンパンと呼ばれます。
主流派洋パン嬢が何故語り継がれたのか!、空襲で焦土と化した東京では飢えて目だけギョロつかせ、当ても無く彷徨う群集や親を失った浮浪児が屯す街に颯爽と現れたアメリカ兵は別世界に住む文明国人だったのです。 相手をする我が大和撫子も変身、チャーミングなショートカットのパーマネント、真っ赤なルージュ、原色の服装に赤い爪、ガムを噛んで闊歩しておりました。 
銀座、日比谷、丸の内、赤坂、麹町、原宿、新宿、と切が有りませんが東京都心はアメリカ軍が占拠、郊外も厚木、相模原、立川、横田、府中、朝霞、白井、あーこれも切がない。と洋パン嬢のお相手のG.I が溢れかえっていたのです。
更に昭和25年(1950)には朝鮮戦争が始まると日本はまさに兵站基地と化し前線に往き来する兵隊の静養地でもあり、パイラーと称するポン引きが大活躍、野戦の帰還米兵など目当てに「ハーイ メニメニギヨール ハバハバレッコ…などとタクシーに押し込んで洋パン嬢を紹介するポン引きスタイルでした。
日本国復活の端緒をつくったこの時期は戦争特需で製造業を潤し、全国各地の米軍ベース近辺にはG.I 相手のハウスオーナー、周旋屋も雲集し、ベースゲート周辺には林立するAサインバーで膨大な女性需要と相まって我が洋パン嬢も健気にも外貨を獲得して日本復興に寄与したといえます。… 
アメリカ軍基地に働く駐留軍要員も雇用の根幹で新聞紙上には募集広告を掲載、元要員出身の芸能人に歌手のフランク永井、とか大阪府知事横山ノック、基地内クラブに出演していたフランキー堺とか植木等谷啓ハナ肇などクレージーキャッツのメンパー、当時テレビ関係のミュジシャン、ジャズシンガー、の中村八大、ジョージ川口渡辺晋笈田敏夫ペギー葉山、雪村いすみ、江利チエミ、等々殆どがキャンプ関係者です。 
確かめ様がないのが一時世間を騒がせた野村サチヨは東北の米軍キャンプに居たとか、オンリーさんだったとか新聞に載っておりました。と云う事で、オンリーさんの話しに移ります。 洋パン嬢とオンリーさんの具体的お話は日本屈指の米軍基地YOKOSUKA事情として次回になります。
注) Wikipedia野村沙知代の詳細がありました。
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《横須賀事情》(9) 横須賀のオンリーさん
(8) 洋パン嬢とオンリーさん
(7) 横須賀の落穂拾い 小栗忠順という日本人
(6) 横須賀の落穂拾い 横須賀の遊廓
(5) 横須賀と芥川龍之介
(4) 海上自衛隊の創設期とU.S NAVY
(3) 海軍遺構と長浦港自衛艦隊
(2) 横須賀帝国海軍の物語
(1) 横須賀 街の今昔