[地域][歴史] 江戸六地蔵 (4)ー6 深川霊厳寺 芭蕉庵と小名木川(二)

霊厳寺の北には江戸時代の遺構小名木川が東西に流れ、銚子漁港の大漁節に唄われた高瀬船が金肥の干鰯を運んで来て水揚げした干鰯場跡の碑が,清洲橋通りに面し(白河1−5)にあります。……銚子大漁節の一部分
一つとせ 一番ずつに積み立てて川口押し込む大矢声 この大漁船
五つとせ いつ来てみても干鰯場はあき間もすき間も更になし この大漁船
七つとせ 名高き利根川高瀬船粕や油を積み送る この大漁船
……お江戸の物流大動脈小名木川には仙台石巻から米など東北物産を海路銚子へ、高瀬船に積み替えて更に関東各地の物産を集めながら利根川、江戸川、小名木川日本橋界隈の蔵に運び込んでいました。明治の時代でも繁忙する小名木川を活写した文章があります。…
”水の東京” 幸田露伴著 
……新大橋の下直(ただちに)中州ありて川の西部に横たはり、儼として一島をなし、酒楼の類のここに家するもの少なからず。中州の対岸一水遠く東に入るものを小名木川とす。 万年橋はこの川の口に架れる橋にして、橋より東小許のところに竪川に通ずる小渠あり、なお東して高橋及び新高橋下を過ぐれば、扇橋猿江橋の間の横川に会す。
なお東して己まざれば天神川と十字を為して、終には中川に会す。 新川はあたかもこの川に接続するものの如く中川より東南の入るの流なるをもって、なお東して遠く去れば、利根の分流たる江戸川の妙見島上流に出づ。  江戸川はこれを遡って利根の本流に出づべく、利根川はこれを下って銚子に至るべし。 水路の通ずること是の如くなるを以て、小名木川は実に縷(いと)の如き小渠なるにもかかはらず、荷足(にたり)行き、伝馬行き、達磨行き、蒸気船行き、夜々日々艪声檣影(ろせいしょうえい)絶える間なし。小名木川は実に重要なる一流といふべし。 今既にこの川一帯の地は工業者の占有するところとなれるが多し、他日の発達測りしるべきなり。…

注)荷足→小型の荷舟 達磨→木造西洋型の艀(達磨船)
この小名木川は先刻御存知の徳川家康公が豊臣秀吉から関東移封を賜わり江戸入府(1590)後、直ちに造らせた運河で、行徳の焼き塩の搬入が当初の目的でしたが利根川東遷事業と人工河川江戸川の開削完成により物流大動脈に変貌した事になります。

芭蕉庵跡の稲荷 (下)芭蕉庵跡堤防上の芭蕉
……芭蕉庵は小名木川隅田川に合流すろ北岸附近にありましたが、奇しくも芭蕉さんは当初この庵から万里の船、富士の霊峰が眺められたことから、杜甫の「窓含西嶺千秋雪 門泊東呉万里船を想い庵を「泊船堂」と名付け号を泊船とした時期があり、天和元年(1681)38歳 ”春立や新年ふるき米五升” の句がありますが、更に門人が植えた芭蕉が大きく茂り庵も芭蕉庵と呼ばれるように為ったたと云うことです。
 ”ばせを植てまづにくむ萩の二(ふた)ば哉” 

では、芭蕉さんが日本橋での宗匠の立場を棄て去り、この辺鄙な小名木川畔に隠棲したのはなぜか?……赤裸々な私利私欲の世間を避け清貧な漢詩の表現に自己実現を目指したのではないのか、とも云われます。
しかし、この芭蕉庵は三回立替られております。そもそも芭蕉十哲の一人、杉山杉風(さんぷう)は日本橋田原町に住む幕府御用達の魚問屋でその経済力で芭蕉の擁護者としても有名な門人です。 その杉風の生簀の番小屋を棲家にしたのが泊船堂で、さらに庭の芭蕉の茂りから芭蕉庵が定着したとされます。 …火災類焼、奥の細道出立で手放すなど三回程建て替ておりますが、終始杉風や門人が支援しており、特に芭蕉と杉風との師弟の縁は長きに亘り、大阪で旅に病んだ芭蕉の最後の書簡(口述)の中で……、杉風へ申し候。ひさびさ厚志、死後まで忘れ難く存じ候。不慮なる所にて相果て、御いとまごひ致さざる段、互に存念、是非なきことに存じ候。いよいよ俳諧御つとめ候て、老後の御楽しみになさるべく候。」と、述べております。
それでは深川芭蕉庵に因んだ句から……
”秋に添て行はや末は小松川”    ”ふる池や蛙飛びこむ水の音” 
”川上とこの川下や月の友”     ”名月や池をめぐりて夜もすがら
”名月や門にさし来る潮がしら”   ”草の戸も住み替る代ぞひなの家”
”有難や頂いて踏む橋の霜”
”秋十(と)とせ却而(かえって)江戸を指す故郷”


芭蕉記念館と展示の蛙…大正6年(1917)の大津波芭蕉庵跡稲荷附近から出土した芭蕉遺愛の石の蛙(伝)
今回は下町、清澄白河を歩き、清澄庭園はずば抜けた存在、この地域の核として深川霊巌寺と、お隣に在る深川江戸資料館で、ここは既に失われた深川佐賀町の江戸時代を再現した優れものが目玉です。残念ながら当地一帯も東京大空襲で焼失、戦前の古きものは道路と寺の墓地のみです。 隅田川の高さ3mを越す堤防に囲まれた芭蕉庵遺構の場所には稲荷の小詞と赤い幟がはためくばかりで風情はとても求められない地域になっており、芭蕉さんは書籍の中のみか、……なお、更なる芭蕉を偲び、資料をお調べの方には「芭蕉記念館」が小名木川河口から北へ歩けば隅田河畔に在ります。…お勧めです。 ……先へつづく…   ……前へ戻る

芭蕉記念館HP…http://www.kcf.or.jp/basyo/index.html

江戸六地蔵
(6) 浅草、巣鴨と孝明天皇急死疑惑と旧中山道の因縁
(5) 深川永代寺の廢佛毀釋と破壊の真実
(4) 深川霊厳寺 芭蕉庵と小名木川(二)
(3) 深川霊巌寺 清澄白河界隈と紀伊国屋文左衛門(一)
(2) 品川寺 品川松右衛門と投込み寺
(1) 新宿太宗寺と界隈