[地域] 銚子のはずれ(4)−9  レポート 漁港市場巡り

銚子と云えば魚、魚といえば漁船、魚の水揚げ場が漁港の市場です。……さて、ブログを書いている私はどちらかと言えば”暇つぶし”……毎日が日曜日という人の話題でして、とは云え余計な事を書くのは私なのですから責任は十分自覚しております。…、昔から事を起こすには”敵を知り己を知れば百戦危うからず”の例えがあり、現代社会の場合でも調査情報なしで銚子移住の実践行動は考えられません。……そこで街を歩きながらの銚子レポートとして産業、風景や実生活につながる海岸魚貝類の採集、マリンスポーツ、食生活のエキサイティング情報を銚子在住者でない客観的立場から発信いたします。

第一魚市場の鮪先ずはWeb地図で確認いただく事として、銚子漁港は河口内港から発展した巨大漁港である事が分かります。利根川河口右岸の一番奥が第一魚市場、その先に第二魚市場、河口先端の外洋に面して第三魚市場があります。
先ず第一魚市場…ここは銚子漁港の最も古い市場で利根川の波浪を遮断する防波堤内が船舶のポンド(係船水域)を構成して、20トンに満たない小型船が見渡す限り停泊する景観は当地以外には見たことがありません。昭和2,30年代までは銚子漁港と云えばここ一箇所でした。現在の第一魚市場岸壁は太平洋を漁場とする鮪延縄漁船の水揚げ場になっており、全国の漁船が寄航します、特に九州宮崎、四国土佐、紀州宮城県付近の港の船が目に付き、50トン程度の小型船ですが大波を喰らっても沈まない独特の船型がわかります。甲板の漁撈機具もラインホイラー(楊縄機械)程度で可なり過重な長時間労働が昔は常識、昨今はインドネシアなど外国人漁船員も各船に2,3名乗船している様です。

第一魚市場岸壁の近海鮪延縄漁船なお、往時は銚子にも鮪漁船は2,30隻程度ありましたが現在は皆無の状態です。…第一魚市場界隈は、ま、観察好きのお方には十分楽しめる場所、利根川防波堤も広く対岸茨城県波崎町を遥かに望む景観は雄大です。寄港船の船籍地など確かめながら広い岸壁散策など如何でしょうか。…
……この市場の南西にかけて展開する街が江戸明治以来銚子のメインであった地域で飯沼観音境内へと通じる道路が銚子銀座通りです。昔の賑わいは既にありませんが風格のある店舗などが残っているでしょう。突き当たりが銚子一の巨刹飯沼観音境内、銅の大仏が鎮座します。

銚子飯沼観音境内観音堂を拝み、境内から石段、坂を下り商店街を右へ、すぐに田中町があります、この道路両側に過って銚子一番の赤線地帯が存在、娼家40軒余りに女性170人以上を抱え繁盛した場所です。私が目撃した昭和28年頃、10月末、サンマの水揚げで銚子に漁船が集中、田中町界隈はゴム長靴の”船方”と当時呼ばれた漁船員で溢れ、これに対する女性軍も奥の手”まわし”と呼ばれた作戦で対応して魚の群れの如き遊客を一網打尽に捕り尽くしたのです。……即ち一人の女性が同時に多数の客を取り順番に接客する方法で可なり荒っぽい稼ぎ方でした。が、時代は変わりまして確か数年前の事でしたが、11月、サンマ漁で銚子漁港は水揚漁船で埋め尽くされましたが暗くなっても上陸して何処へやら急ぐ漁船員の影がありません。

田中町旧時代の店…御商売の女性が居ないから上陸しないのか?、漁船員が遊ばないから女性が居ないのか?、…古い人とは違い今の若い人は理性的で酒など飲んで品格のない行為はしないのか?、過って、ゴム長靴で田中町の路地をぞろぞる歩いていた連中とは何だったのでしょう。…という話の決着は……往時の漁船は小型で多数の乗組員は船首(おもて)と船尾(とも)の広い棚のような場所(船室)に雑魚寝で詰め込まれ、トイレは露出した船尾甲板を囲った程度です。もとよりシャワーなど無く、漁撈以外は棚に身を横たえるだけの環境でした。近代漁船を見ますと大型化と省力化で居住環境は格段に進化し据付の立体ベットはカーテンを曳けば個室化します。特筆すれば、船員各自の持ち込みIT機材で家族友人知人との対話、TV画像などお好みの画像受信が可能、ゲームなどと、……女性相手の店で可なりの出費より遥かに充実しているのかも知れません。昨今の田中町界隈は廃屋、空き地が目立ち外国人サロンのような店が所々にあり、うらぶれた街に見えました。次回は第二魚市場から千人塚、川口明神方面へ ……先へつづく…  ……前へ戻る

《銚子のはずれ》
(9) 遊べる学べる海岸 外川、マリーナ、屏風ヶ浦
(8)ジオパークを屏風ヶ浦へ
(7) 海鹿島、君ヶ浜、犬吠崎灯台
(6)本命銚子市の理由
(5)利根川口から犬吠岬へ
(4) レポート 漁港市場巡り
(3)人なんか呼んでも来ない!
(2) 銚子移住はあるか? 
(1) 地の果て”銚子へ移住という選択