[歴史] 甦る記憶 (3)ー8 街から消えた商売

今では街の商店街も様変わりして活気のあるお店は少なくなり、町に定住している者自身の生活パタンからも生活必需品の購買先がスーパー、コンビニ、ドラッグ、SCに限定されているのが分ります。
社会生活の近代化に伴う人々の感覚が商品の選択肢、各種商品の集中度、価格の低廉など自分の宰領で購入する感覚と考えらえれますが?、……先進的な近代商法の導入により教育された風潮なのか定かでありません。……
では、更に昔の、戦前戦後の繁華街や商店街の回顧から……消えた商売とは……
多少は頑張っている敬服すべきお店もありますが、先ず、蛇屋(へび屋)、下駄屋、呉服屋、銭湯、牛乳屋、助産婦、派出婦人会、花輪屋、風呂桶屋、タイプ印刷屋、謄写印刷屋、煎り豆屋、煮豆屋、アイスキャンデー製造販売店(蒸かし芋屋)、荒物屋(雑貨屋)、金物店、鋳掛屋(いかけ屋)ポンプ屋、鍛冶屋(鉄工所)etc……
その他、ちょっと繁華な街には娯楽などの店として、……ビリヤード、矢場(やば)、カフエ、ミルクホール、映画館がありました。先ずは、
へび屋…から順次ご説明…子供の頃は必ずウインドウ覗きのお店、何十匹ものシマヘビがガラス一枚で団子に絡んでいる怖い光景が楽しみ、その他マムシの黒焼き、アルコール漬が飾られ、店内では生血、肝を飲ませる、持ち帰りはマムシの黒焼き粉末です。大人の滋養強壮といわれておりましたが、怖い見かけより薬効はどうなのでしょうか?、
下駄屋…どこの商店街でも中心的な商売です。云わずと知れた、往時私達日本人の日常の履物ですから、高価なものから、そうでない物まで老若男女用に多種多様に揃え、鼻緒も鮮やかな女性や子供用なども並べてあり、店主は座職仕事で磨きこんで木の株の作業台で客の好みの鼻緒を据えます。いま回顧しますと随分と手の込んだ芸術的な高級下駄もあったのです。
助産婦…お産婆さんと呼ばれたお仕事で、どこの街角にも看板が出ておりました。戦前はお江戸の延長線上です、出産は各家庭でお産婆さんを呼んでいたのです。家の者も湯を沸かしたり襖の中から赤子の泣き声で一安心という話です。 私自身もお産婆さんのお世話で産まれましたが残念ながら記憶はありません?……
派出婦人会…これも看板は街角で見かけ、おばさんが取仕切り、働きたい女性を登録させ、家庭の雑事などのヘルパーとして派遣されます、病院の付き添いなどが含まれるのか良く分りません。当時は女中さんと呼ばれる主婦の手伝いをする仕事などもあり、家によっては、女中部屋などもあり、この仕事はパート的なものと思われます。
花輪屋…紙の造花を大きなサークル状に飾り付けた物で注文により製造から設置、片付けまで請け負い、店の板の間で組み立てる。つい最近まで葬儀やパチンコ店開業など道路にずらりと飾られたものです。葬儀などでは延々と続く花輪の数により故人の名士ぶりが語られたようです。
風呂桶屋…檜の板から風呂を組み立て販売、昔はバスタブなど見たこともありません。各家庭の風呂は小判型、丸、四角など好みに作られます。焚口もガス用、石炭用、木材用を取り付け出来上がりは奇麗な木肌と檜の匂いで最高ですが、長年使い込むと魅力は無くなるかも知れません。店内は見本と桶作りがガラス戸越しに見えます。
謄写板印刷屋…ワープロ、プリンターなどの普及など科学技術の進歩により壊滅した商売の見本です。謄写版ガリ板)印刷のメカニズムとは…細かなヤスリ状の鉄板の上に特殊な紙をパラフィン引きした原稿用紙を載せて鉄筆で文字文章をレイアウトして書き込みます、出来上がった原稿をシルクスクリーンに貼りゴムローラーでインクを塗布すると下の用紙にインクが滲み印刷完成です。何部でも簡単にプリント出来ますから、同好会、同人誌などの冊子作成、学校、会社の文書、チラシなどを廉価に作ってくれました。…タイプ印刷屋とは多少風格のある原稿作りをタイプライター(和文)で活字印刷するものでワープロが出現前は高価な和文タイプなど個人的に所有しなかった。また、操作の複雑とスピードの緩慢は到底ワープロに敵いませんが、欧文タイプのスピード、機能は優れておりました。
煮豆屋、煎り豆屋、…煮豆屋(佃煮屋) 先ず、何処の商店街でもお目に掛かるお店です、矩形の50cm位の漆木箱にうずら豆、うぐいす豆、おたふく豆、その他色々あり、更に佃煮なども売っていました。 五十匁三十銭などと書いた経木の札が載せてあり、計り売りの単位です。 品物は上手に経木を丸めた中に入れてくれます。当時、計量の単位の匁(もんめ)を略して…お客は、この豆を百め(百匁)下さいとか、お店はお店で百目50銭などと書いたりしていた記憶があります。また、銭を略して金へんを除いて、略して書くのが当たり前でしたが、今日その様な漢字が存在しない事がわかりました。…煎り豆屋も当たり前に良く見かけたお店です。今でも古い盛り場の浅草や麻布などには残っているようです、ではちょっと目先を変えて、
カフエ…とは外来語が転化し一人歩きしたお店の事です。私が見かけたのは街の路地裏などで女性が接待する小さな飲食店です。店のドアーを洋風にし赤いランタン程度を灯したお店で夕方になると水を打ち盛り塩などしていました。
何時の時代でも酒と女性が絡めば色々お話はある筈ですが、聞いた話から……女性が羽織を脱ぐと着物の一部分がほころび、実は縫っていない部分があり、云々と女給さんのサービスを解説してくれたお節介な人がおりましが、何分未成年者の私には良く分りませんでした  ……先へつづく…  ……前へ戻る

《甦る記憶》(8) 昭和珍商売 世投げ屋、偽傷痍軍人、犬殺し
(7) 昭和珍商売 モク拾い、泣売(ナキバイ)、衛生博覧会
(6) 昭和仕事 俥夫、ボテフリ、カラス部隊
(5) 昭和の仕事 エンヤコラ、車力、馬方、汲み取り屋
(4) 昭和の消えた生活 仕事
(3) 街から消えた商売
(2) 日本国とアメリカCIAの関係
(1) 女衒(ぜげん)、華族、貴族院