[昭和][世情] 甦る記憶 (8)ー8 昭和珍商売 世投げ屋、偽傷痍軍人、犬殺し

珍商売の2回目になりますが、平成の今日でも珍商売に付き物のガセネタ、イカサマ、ダマシを横行させる政治、民主党には困っております。……
テレビを見て驚いたのは、東日本大震災復興の予算ですが、私達に課せられる所得税、住民税の増税を財源に復興予算を組んで居りますが、なんとこれが災害地と関係なく全国にばら撒かれる仕組みでした。
政治家と霞ヶ関がタッグを組んだ震災被害を看板にしたダマシだったのです。……その予算の利権先とは、→ 日本各地に工業団地など工場立地のための国内立地推進事業(2950億円)、調査捕鯨船団のシーシェパード対策(23億円)、首都圏の国税庁耐震改修工事費(12億円)、青森・茨城での国際核融合実験炉(42億円)、アジア青少年との被災地交流(72億円)、沖縄国道整備(34億円)、国立競技場補修(3.3億円)、刑務所職業訓練(0.3億円) etc. …肝心の被災地では予算不足を理由に補助申請の60〜80%は不受理とされており、復興予算とは罹災地をイメージさせるイカサマだったのです。 民主党マニフェストのダマシ、消費税増税も年金福祉対策は見せ掛けで、ばら撒き転用は目に見えております。……こう云う事を松下政経塾で教えているのか?、教えに叛く悪い種子が紛れ込んでいたのか、よく分りませんが!。
また、ばら撒き金に窮した自民党も匂いにつられ焼き鳥屋台の周りでウロウロする野良犬か、……なんとも、頭を抱えるばかりです。……
では、本家ガセネタ、イカサマ、ダマシの昭和珍商売を始めます。
傷痍軍人敗戦後昭和27年頃も国鉄山手線電車など乗車すると、突然連結部から白衣の傷痍軍人が現れ、「車中の皆さま、大変御迷惑をおかけします。私は○○戦線で負傷、祖国に帰還しましたが、生活ができません。 どうか、皆さま方の御協力を御願いいたします。」と募金の趣旨を説明、乗客に募金箱を差し出し、次の車輌に消えてゆきます。この人達の服装は軍帽を被り、白木綿の傷痍軍人用の着物(単衣)に傷痍軍人記章を付け軍靴を履く戦時中の傷痍軍人の外出服装を真似して一目で自分が誰であるかを強調します。商売が認知され、同業者も増えると服装、挨拶も簡素化、効率が第一なのか?「御協力御願いたします」程度の口上で、そそくさと募金して次の車輌に移動してゆくのです。 負傷の程度は松葉杖が一番多く、腕を包帯で肩から吊る、眼帯黒メガネ。 この商売は街頭にも進出しアコーデイオンを演奏するなど街角に2人組で立ち、歌や演奏は♪「今日も暮れゆく 異国の丘に 友よ辛かろ 切なかろ 我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る 日も来る 春が来る.」と、「異国の丘」が定番でした。 ……当時、覚束ない足どりの二人組追跡ルポを読みますと、商売終了後は松葉杖、盲人用黒メガネを外し、腕を吊った包帯を取り、白衣を脱ぐと、二人組の男は一変、酒場に直行、云々とありました。 ……日本の珍商売はウエットな情感をくすぐるテクニックが多いようです。……
世投げ屋…これは真面目な人が考え出したイカサマではない商売かと思います。何故”世投げ屋”と呼ぶのかは分りませんが?、……

渋谷3丁目渋谷川:photo-昭和23年東京地図 平嶋彰彦 筑波書房
私が見かけたのは渋谷の明治通りに沿って流れる渋谷川でした。丁度、朝鮮動乱の特需で工業が活性化し、金属類が逼迫してクズ鉄価格が高騰した時代、ドブ川の底を浚って金属クズを回収していたのですが。 実は本来の世投げ屋エキスパートは緻密な発想からドブ浚いをしていたのです。
…そもそもお江戸東京は災害の都であり関東大震災東京大空襲などで、人々は火炎の疾風に追われ、逃げ惑い川に飛び込むもの、荷物を捨てる者などで川底にはとてつもないお宝が隠れているのです。これに目をつけ、人に笑われながら、ドブ川の中から貴金属やらお宝を、こっそり拾い集めていたのです。 
だが、難点は、本所深川などの川底は更なる宝の山に思えますが、川が深くては人間は溺れます、世なげ屋さんもギブアップして山の手の河川が仕事場になったようです。 主な道具…小さな鍬の様な撹き棒、竹箕(たけみの)(変形したザルに似た農具)、胸当てゴム長、など。
野犬捕獲員…平成の現代では消滅したので珍商売に分類。 昔の仕事です。…古くは江戸の名物『伊勢屋、稲荷に犬の糞』と云われるほど野犬は沢山いたのです。更に五代将軍綱吉の「生類憐れみの令」は有名、ちょっと寄り道します。……
信仰心の強い綱吉の生母、桂昌院お玉は将軍に子無きは前世の輪廻と僧侶に諭されます。生母の感化と自分の干支(えと)の戌(いぬ)が絡み、綱吉は江戸の街の野犬保護を思い立ち、種々のお達しの連発で町方のパニックは深刻なものでした。 この計画でお犬様の住居として数万匹収容の犬囲いを各地に造ります。 で、野犬に御越し頂くための御案内人が居たはずですが、これが公的な「野犬捕獲員」の元祖ではないでしょうか?。 当時の記録は多数のこっておりますが、大規模な犬囲いは新宿区若松町の警察機動隊敷地やJR中野駅前サンプラザ敷地など五ヶ所にあがります。    
”生類憐れみの令後日談” ……養子に迎えた甲府藩主徳川綱豊(のち綱重)が綱吉の死後六代将軍徳川綱重として就任、数日後には遺言を無視し、二十四年間続いた”生類憐れみ”を廃棄した事です、常軌を逸した綱吉の面目は認められず将軍徳川綱吉はいじましい人間像を後世に残す事になりました。
……この生類哀れみ令で罪人とされていた数千人が釈放されたのですが、逆に当時犬囲いに収容できない犬を養育費を与えられ飼育の任に当たった多くの人達は全額返還を命じられて数十年掛けて返済した記録などが残っております。今も昔も悪政の後始末は庶民の役目なのでしょうか!。
本題に戻ります。…現代の野犬捕獲人は二人位で自転車に檻のリヤカーをつなぎ、街に回って来ます。目星を付けた辺りに自転車を停め、丸い輪にしたワイヤーを隠し油断している犬に近付き、…一瞬丸い輪が犬の首に掛かるや、いなや、犬は宙吊りにされ足をモガクばかり、檻の上蓋は絞首台の如く下に開くトラップで犬はキャンとも鳴けずに捕り収容された瞬時の出来事でした。自転車は何事もない昼下がりの風景の中へ去ってゆきます。   
捕獲人は東京都職員か業者か分りませんでしたが、熟練と特殊な勘が必要な仕事、商売?でしょう。 ま、当時の子供達は野良犬とは友達ですから、犬の味方で捕獲人を”犬殺し”と恐れていました。 悲惨な狂犬病予防など自分達の為に無くてはならない大切な仕事なのですが!。
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《甦る記憶》(8) 昭和珍商売 世投げ屋、偽傷痍軍人、犬殺し
(7) 昭和珍商売 モク拾い、泣売(ナキバイ)、衛生博覧会
(6) 昭和仕事 俥夫、ボテフリ、カラス部隊
(5) 昭和の仕事 エンヤコラ、車力、馬方、汲み取り屋
(4) 昭和の消えた生活 仕事
(3) 街から消えた商売
(2) 日本国とアメリカCIAの関係
(1) 女衒(ぜげん)、華族、貴族院