[世情][昭和] 甦る記憶 (5)ー8 昭和の仕事 エンヤコラ、車力、馬方、汲み取り屋

”力仕事”といいましても現代風の人間の才知や能力の話ではありません。 その物ずばり、力仕事で生活していた庶民の実態です。
……現代の工業製品をはじめ製造業の自動化には良くもここまでと驚くばかり、日頃目にする土木工事や農作業でも機械化は、昔の夢が現実に、当たり前の如く通用しております。 話は逸れますが高齢者の私自身も医療、食生活の高度化の恩恵で生きているのか? 中身は薄い人生としても歴代徳川将軍の年齢を超えている不思議もあります。……
ふと少年時代の記憶から、社会生活に密着した力仕事の断片から始めますが、工事現場の女性労働者「エンヤコラ」から”芋ずる”のように庶民の生活の糧であった力仕事を回顧してみました。…
…時代は昭和10年代、延々と続いた日中戦争が太平洋戦争へ拡大して行き、国富は総て戦費に充てられ民生は顧みられない頃の庶民生活です。……
建物を造る時、土地の基礎固めは昔も今も同じ事ですが、当時活躍したのが「エンヤコラ」です。現場の空き地には仕事師やら土方さんが足場丸太で櫓(やぐら)を組み鉄のリングを填めた木製の大槌を滑車で吊るす仕掛けを整備、槌を引き上げるロープには引き手人数分用に更に荒縄を付けてあります。 ”おかみさん”やら腰の曲がりかかった”ばあちゃん”、乳児を背負った母ちゃんやら、三々五々集まり、それぞれ引き縄を握ると、音頭取りが節をつけて即興の掛け声、語り継がれた定番『父ちゃん”の為なら』と呼ぶと引き手が一斉に声を合わせて『エンヤコラ』と呼び、縄を手繰り手放します。この単調な労働を癒す目的なのか、音頭とりは周囲の目に入る物や思いなどを即興で…、「もう直ぐ御飯だエンヤコラ」とか子供が眺めていると目敏く、「子供が見ているエンャコラ」「も一つオマケだエンヤコラ」などと、面白く、やがてもの悲しい風景でした。…
     
荷馬車 寺島町奇譚 滝田ゆう画:東京でも昭和25年頃にも見かけた。
…当時街に荷物を届ける物流で子供の人気は馬車がありました、重い荷物を積んで移動する時は馬が大変ですが、大きな馬車の荷下ろしは馬方さんが今度は大変になります。 目的地に着くと馬方は馬の前に水やら藁などの飼葉桶を置いてやると、桶に頭を突っ込んで、特別に手綱を繋がないでもおとなしく食べております。 荷下ろし作業で馬方さんが汗を流している間、子供達は馬の側に座り込んで馬の見物です。 馬は少し落ち着くと地面に飛沫を立てて小便を始めます。
その後の不思議な現象が子供達の目的で、ズルズルと大人の腕の様なものが伸び、ピンク色や更に斑(ぶち)など、牡馬である事が分りますが去勢してあるのか?、…びっしり汗をかいた馬の臭いも気になりませんでした。…当時、荷馬車が大型トラックとすれば、小型トラックが大八車やリヤカーです。 『当たりき、車力、車曳き』と云う軽口を思い出しましたが、大八車を曳いて荷物を運ぶ職業を「車力」といいます。 重量物を運ぶ時などは荷台から肩当を付けたロープを肩に掛け曳く力を最大限に利用しますが、現代生活では殆ど気にならない下町の橋、山手の坂など昔の東京は坂の街といわれ車力や馬力など運搬業の人々を苦しめていたようです。
しかし、この苦役の人々からも立身出生を勝ち取る人も結構居たようで、現在の物流大手、佐川急便の創業者はリヤカーで荷物運びをしていた方と聞いたことがありますが、その佐川さんが奉納した絢爛豪華な大神輿が深川富岡八幡宮に飾って在ります。 …ちょっと嫌な話になりますが、現代でも時々使われる「車夫、馬丁の類……」と云う言葉があります。話の前後から察すると、自分達とは教養、思考が劣り対等な対話が無駄の相手、と云う事のようですが、「金持ち喧嘩せず」と共通の一端がある、明治時代以後に流行った一種の差別語です。……
…毎月決まった間隔で必ず各家を訪れる、大変な労力と技術を持った人が。”汲み取屋”さんです。東京都職員だったのかは定かでありませんが、当時、敗戦後も下水道など大東京といえども丸の内界隈とかデパートなどビルヂィング以外は殆ど普及せず、ポッチャン便所で人の集まる学校、兵舎、駅、工場、商店など何処も同じでした。

photo:葛飾区郷土と天文の博物館
汲み取屋さんは天稟棒(てんびんぼう)で一荷(2樽)の樽を前後に担ぎ、木製の柄杓(ひしゃく)を持ち各家の汲み取口から屎尿を樽に汲み取り、木蓋をはめ、リヤカーなどに積み道路の所定の集積場所に集めると、大きな木槽を載せた4トン積トラックが到着します。この積込みが大技術です。道路からトラック木槽に掛けた急勾配の渡し板を天秤棒で一荷の樽を、たわむ板を上手に踏みながら担ぎ上げ、手品の如く一瞬に蓋をはずし樽から流し込みます。ひっくり返してブチ撒ける事も余り無い?、のですから。…当時の東京では屎尿の臭いは当たり前の生活臭でした。…本当です。
屎尿に関する逸話…”江戸東京の下水道のはなし” 東京下水道史探訪会編から
…大正11年(1922)三河島汚水処分場の完成以前、大学を出て三菱地所に勤めた人が最初にさせられた仕事が、ビルの地下の汚物槽の汚物を作業員が取り出し、運ぶのを監視することだったとあります。 ビルに水洗便所をつくってもその終末がなかったからです。…… エクセレントカンパニー三菱地所のお話、同じく三井不動産の蛇足の逸話…親の苦労で大学を卒業、三井不動産に入社した社員が田舎の親に折角大学を出したのに不動産屋に勤めるとは、と嘆かれ困ったという!、街の小さな不動産屋さんと混同されたようで、また、昔は不動産売買業蔑視があったのかも、……
…土木工事では、土地造成現場も機械類など見当たらず”ツルハシ”や”シャベル”の人力で掘り起こし、土石の移動はロープで編んだ網を竹やら木材に吊るして前後を二人で担ぎ運ぶ「モッコ」です。子供心にも大変な労働に見えました。 規模が大きくなると簡易な線路を引いてトロッコで土石や資材を運搬する仮設人力鉄道がありましたが、高低差のある土地の整地などでは、土方さんが乗り、半纏を翻し下ってくる風景は子供達には魅力でしたが、楽をしても又トロッコを押し上げる仕事が待っているのです。 ま、とにかく現代のパワショベル、スクレーパー、ブルトーザー、杭打ち機や、土木現場の小型機械など皆無、江戸時代の延長線上の人力世界でした。…… 先へつづく…   ……前へ戻る

《甦る記憶》(8) 昭和珍商売 世投げ屋、偽傷痍軍人、犬殺し
(7) 昭和珍商売 モク拾い、泣売(ナキバイ)、衛生博覧会
(6) 昭和仕事 俥夫、ボテフリ、カラス部隊
(5) 昭和の仕事 エンヤコラ、車力、馬方、汲み取り屋
(4) 昭和の消えた生活 仕事
(3) 街から消えた商売
(2) 日本国とアメリカCIAの関係
(1) 女衒(ぜげん)、華族、貴族院