気になるBlogと伝通院

いつもワッチしている日記"tenn-no-koeの日記"の11月8日の”地獄の沙汰も…”のお話を読んでいる居る私さえも”はらはら”冷や汗物でした。
お江戸徳川将軍家菩提寺で有名な伝通院の御上人を黙らせた一件です。 
このMr Drの剛速球一本槍は日記同様生活面でも発揮されている様子、どっちつかづの曖昧社会では貴重な存在に見えてまいります。これから日記の展開から目が離せません。
ついでに、話はこちらに引き取りまして、私には小石川伝通院と云えば永井荷風さんの名作随筆「伝通院」です。…進む時間は一瞬ごとに追憶の甘さを添えて行く。…と記された感覚に浸れる年齢なのでしょうか。
しかし、もっと現実的問題の心配事、この寺の塋域には家康公の生母”於大の方”をはじめ徳川将軍家正室子女など巨大な墓石塔が林立し、一瞬歴史のど真ん中に立ち尽くす感覚を誘う徳川将軍家霊域が存在するのです。

実は上野の谷中霊園内には更に有名な徳川墓地…各代将軍の正室、側室を葬る、御台所様(みだいさま)霊域があります!、在ったのです。 が、数年前に何んと、この歴史遺構の巨石群をものの見事に取り除き、哀れ、募集分譲墓地として換金されてしまいました。 
歴史価値として、徳川将軍の大奥、正側室の権威、更には将軍家の巨大な権勢を窺い知る貴重な遺構であった筈です。
この徳川将軍家墓地の換金という流れは、巨大霊域、上野寛永寺、芝増上寺に始まり正側室子女の霊域へと波及し、残る唯一の遺構が、この伝通院将軍家墓地なのです。
何分にも、広大巨額な不動産の事で、その所有権の所在の詳細は分らないのですが、日本近代化の礎、徳川三百年の泰平をもたらした誇りある御先祖を戴く将軍家の子孫徳川宗家がこの問題総ての鍵を握っている存在かと思います。
では伝通院塋域に眠る歴史上の著名人は、
● 伝通院於大の方徳川家康の生母
● 千姫…二代徳川将軍秀忠の長女、豊臣秀頼
● 亀松…三代徳川家光次男
● 鷹司孝子…三代徳川将軍家光の正室
その他縁者多数。
● 藤井紋大夫…水戸藩家老、二代水戸藩徳川光圀により刺殺される。 光圀自ら取立て目を懸けた家臣に恨みを持ち平然と刺殺した。 理由を藩、臣共に秘匿している怪奇な事件。
● 清河八郎新撰組の前身、浪士組を伝通院塔頭”処静院”で結成した実行者。 尊皇攘夷者の八郎が策謀した尊攘集団結成の実態が露呈後、江戸に戻るも新撰組隊士に誅される。処静院住職も尊攘派佐幕派に斬殺される。墓は首だけ。
● 千種任子…明治天皇後室女官、天皇の三女、四女の母。
その他著名人の墓多数。
また幕末彰義隊結成の行動が当寺で開かれており、伝通院は歴史好きには奥の深い場所でしょう。 山門前から春日に下る善光寺坂には沢蔵司稲荷、善光寺があり、お江戸の面影を残す唯一の場所です。