[地域] 新宿界隈由縁の人々(4)−6 内藤新宿宿場と夏目漱石

前回よりの続き…養家塩原昌之助一家(元内藤新宿名主)と再び街道宿場新宿に帰ってきた夏目金之助は休業中の貸し座敷(女郎屋)に住む事になります。 
では、4,5歳になった幼い金之助の目に映った宿場の様子を自伝小説「道草」からピックアップしてみましょう。……
………大きな四角な家が建っていた。家には幅の広い階子段のついた二階があった。その二階の上も下も、健三の眼には同じように見えた。廊下で囲まれた中庭もまた真四角であった。 不思議な事に、その広い宅には人が誰も住んでいなかった。それを淋しいとも思わずにいられるほどの幼ない彼には、まだ家というものの経験と理解が欠けていた。
彼はいくつとなく続いている部屋だの、遠くまで真直ぐに見える廊下だのを、あたかも天井の付いた町のように考えた。そうして人の通らない往来を一人で歩く気でそこいら中馳かけ廻った。 彼は時々表二階へ上あがって、細い格子の間から下を見下した。鈴を鳴らしたり、腹掛を掛けたりした馬が何匹も続いて彼の眼の前を過ぎた。路を隔てた真ん向うには大きな唐金の仏様があった。その仏様は胡坐あぐらをかいて蓮台の上に坐すわっていた。太い錫杖を担いでいた、それから頭に笠かさを被かぶっていた。
健三は時々薄暗い土間へ下りて、其所からすぐ向側の石段を下りるために、馬の通る往来を横切った。彼はこうしてよく仏様へ攀上った。着物の襞へ足を掛けたり、錫杖の柄へ捉らまったりして、後から肩に手が届くか、または笠に自分の頭が触れると、その先はもうどうする事も出来ずにまた下りて来た。
………

以上が太宗寺六地蔵の鎮座する門前の貸し座敷伊豆橋での記憶を残したものですが、この建物は夏目家の後妻千枝(金之助の実母)の実家の所有であった事は前回の通りです。
この後、金之助6歳の明治6年(1873)養家塩原昌之助一家は再び第5大区5小区(浅草諏訪町)の戸長となり、扱所(現在の区役所出張所の仕事)の責任者として棟続を住居としますが、ある時期から家庭に異変が起きます。養父塩原昌之助の不倫がもとで養父母の離婚事件に発展、金之助は実家夏目家に引取られます、金之助9歳の時でした。
この実家夏目直克家にとっては小さな厄介者が再び戻って来たわけですが実父母をおじいさん、おばあさんと呼ばされた習慣で過ごしていたようで、幼児期の体験は夏目漱石(金之助)の家族に対する屈折した感情を引きずることになります。
しかし、裕福な元名主の子供として教育の機会には恵まれ、曲折はあっても、府立一中、一高、帝大と首席で卒業する秀才を発揮、大学教員、留学、作家に転進となり日本屈指の文豪として名を連ねております。……この方は人生の心境心情を細かに綴った自伝小説を多数残しておりますが、現代民主主義社会の子供と云えども人格人権の尊重される常識と、戦前封建主義社会の子は親の付属物、経済的道具の実情、実態が特に養父塩原昌之助とのしがらみの詳細から分かるのです。……更に、内藤新宿宿場の遺構…投げ込み寺成覚寺の境内には親に売られた多数の女児の薄幸な結末、供養墓「子供合埋碑」は涙をさそいます。………

さて、内藤新宿もう一人のお方は芥川龍之介です。……この方は直接貸し座敷、遊郭との関係は無いのですが、実父新原敏三経営の耕牧舎は内藤新宿二丁目に8000坪の牧場を所有しており、龍之介は明治43年第一高等学校入学時から東京帝国大学入学の大正3年(1914)までの4年間内藤新宿の住民だったのです。その後、この牧場敷地は警視庁の命令で市街部から退去させられ跡地には街道筋に軒を並べた貸し座敷(女郎屋)を集約して大正7年遊郭街を発祥形成させ、戦後マッカーサー命令で公娼廃止後は特殊飲食店街、即ち赤線新宿二丁目として再構築して繁盛し一世風靡、新宿のイメージ的な存在にまでなった場所です。……
……多分、作家野坂昭如さんは学生時代から我が街新宿は金が有っても無くても一廻りしないと落ち着かなかったと書いておられます、また格別の二丁目や花園のお馴染みですから、心ならずも文豪芥川龍之介の遺構耕牧舎跡地には特飲店女性を介して接していた事になるのでしょう。更には吉行淳之介なども、また………
………私は今回内藤新宿夏目漱石芥川龍之介を結び付ける共通の接点と考えて調べ始めると、その出生から生い立ちの余りの共通点にいささか驚いております。先ずは乳児期の漱石は篭に入れられ露天商の路上で眠らされていた、龍之介の場合はプロテスタント教会の門前に捨てられた(原因実態?は次回で)……から始まり二人とも幼児期は養子に出され養家で育つ、更に生育して実家と養家の間で争奪の争いが勃発し二人は共にその狭間に身を置くことになります。
また、秀才も共通の資質で府立中学、一高、帝大と同じ道を辿り文学界の巨人的な存在となっております。また死の本質を賛美する指向も共通で芥川龍之介は自ら実行してしまいます。………次回はこのお二人の生い立ちを詳しく対比してみました。
注)芥川龍之介の詳しい資料として、…共に大学教授として著名な恒藤恭の出版物「旧友芥川龍之介」と芥川龍之介研究者の関口安義の「二人の父と四人の母」などがあります。
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……次回へつづく… 

《新宿界隈由縁の人々》
(6) ゴールデン街
(5) 内藤新宿宿場と芥川龍之介
(4) 内藤新宿宿場と夏目漱石
(3) 内藤新宿宿場の有名人
(2) 赤線青線街の成立
(1) 闇市バラック街備忘録