[事件事故] 海難(5)−6  史上最大洞爺丸沈没事故と船長

この件は昭和29年(1954)9月26日台風15号(洞爺丸台風)が北海道南部に接近し青函連絡船洞爺丸など多数の船舶の海難事故で記録的多数の犠牲者が発生いたしました。  しかし当時の気象観測、通報、船舶、機材などシステムや科学技術の環境が現代と対比し劣悪であった事実があります。が…昔も今も船舶運航の総責任者船長と云う職務は重責であり、反面大きな権限が伴っていると云えるでしょう。 具体的には入出港の判断、航海計画など安全運行のすべての責務権限を負っております。 それでは台風15号による青函連絡船洞爺丸海難の被害と沈没に至る経緯を調べてみましょう。  沈没による被害……函館港内で洞爺丸沈没による死者…乗客、乗員など1155名。 その他函館港附近での転覆、沈没船……青函連絡船十勝丸(貨物)日高丸(貨物)北見丸(貨物)第11青函丸などで死者…乗組員計275名。 避泊中の商船が座礁事故も発生しております。


photo…Japan Times, 25 September 2011
洞爺丸沈没に至る経緯……洞爺丸(4337トン)の近藤平市船長は青函連絡船船長としてはベテラン組に属し気象判断のエキスパートで”天気図”が別名で通用する人だったのです。 が…なんと遭難の原因は台風襲来前に連絡船を出港させた台風位置の誤判断に尽きるのです。…以下の問題はこの海難の重要なポイントになります。………
なにが台風位置誤判断を惹起したのか?……当時の気象関連システムでは現在のように気象衛星、気象レーダー、コンピューターなど利用して台風位置や形状をリアルタイムで観測出来なかった事。また、気象通報のシステムもアナログです。…では当時の船舶が天気図入手の手順とは……現在のデータ通信開始以前の流れ…無線室ではモールス信号、いわゆるトン、ツーによる無線気象通報JMC(実況)とJMB(解析)高層が定時送信するBC(放送)をタイプライター受信します。 地上海上各地点観測収集データと高層気象解析のデータで、電文は数字ブロックの羅列が60分以上続き受信後データを天気図用紙にプロットして天気図が作成されます。船長はこの天気図から台風位置など気象を想定し判断を下しますが、船長の見ている天気図はリアルタイムに、かなり時間のずれた天気図です。その時間差に気象状況が激変すれば合理的な台風位置予想と云えども外れる事は当然起こり得ますし、起ったのです。……
青函連絡船洞爺丸の欠陥船体構造とは?……船尾に鉄道車両積載用の大開口部があり、遮浪装置が存在しない。 また開口部車輌積載甲板の浸水時には下部機関室、ボイラー室と通ずる開口部で完全防水出来ない通気孔など多数存在する。……
それでは洞爺丸遭難事件の海難審判第二審裁決文の「遭難事実の経過」から一部引用して出港沈没に至る洞爺丸を時系列で追跡しましょう。……日本列島を時速100km以上で北上する台風15号接近下の12時40分頃、青森行きの渡島丸(貨物専用)よりの通報は海峡中央部で風速25メートル、波8、うねり6、動揺22度、針路南東で難航中とあり、後続していた第六青函丸・第十一青函丸は海峡にさしかかったところで運航を中止して引き返していた。…函館港青函連絡船桟橋の洞爺丸は午後2時40分出港予定の上り4便として船長以下乗員は出航部署につきます。
午後3時頃……出港予定時刻の洞爺丸は鉄道車両積載用電動桟橋が停電で外せない事故が発生、船長は出航を見合わせを決定した。午後4時の気圧示度が985.2ミリバールで雨を伴う東風10〜15メートル。
午後5時……には982.6ミリバールで風力は急に弱くなり、雲が切れて晴れ間も見え、一見台風の中心に入ったような様相を呈したが、その後晴れ間も消え風向は南東、南南東と次第に右転し風力も徐々に強まってきた。
午後6時39分……船長は洞爺丸を桟橋から解纜し、旅客その他計1,314人、鉄道車両12両(重量約313トン)載せ出港し、防波堤西出入口に向かった。防波堤に近づくにつれ波浪が意外に荒いことが判り機関を種々に使用して風上に回頭する。
午後7時1分……難航を予測した船長は荒天航行を避け錨泊を決定し函館港防波堤燈台から真方位300度0.85海里のところで双錨泊する。 投錨したころ波浪はエプロン甲板と車両甲板の後端に時々打ち上げる程度であったが、午後7時半頃には船体の縦揺れ(ピッチング)に伴い船尾の車両甲板が海水をすくうようになった。午後8時過ぎ車両甲板上へ奔入する海水の量も刻々増加し、船体の動揺に伴って流動し午後8時頃から走錨を始めた。
午後8時30分頃……作業員は遂に車輌甲板から引き上げた。同甲板上の浸水で船尾は全く海面下に没し、同甲板の両舷側にある通路にまで水密扉の間隙から海水が浸入するようになった。また、前示開口部から機関室、缶室等へ浸水が始まり、次第に浸水の量が多くなり、発電機が次々に運転不能となって、ビルジの排出も不能となる。同9時過ぎに左舷側への傾斜が増大する。
午後9時50分頃……左舷主機が、次いで同10時5分頃右舷主機が運転不能となった。左舷主機停止の頃から走錨の度も早くなり風浪を左舷側から受けるようになって船体は右舷側に傾き始め、次第にその傾きが大きくなった。同10時15分頃船長は事務長に対し、旅客に救命胴衣を着用させるよう命じた。
午後10時26分頃……本船は、函館港第三防波堤燈柱から267度0.8海里、距岸約0.6海里、水深12.4メートル底質砂の地点において、後部船尾に三回ばかり軽い底触を感じ、船体は右舷側に45度あまり傾斜し、その後船首が次第に風下に右転して圧流され、波浪の来襲する毎に傾斜が大きくなって車両が転倒し、同10時45分頃、函館港防波堤灯台から337度2,500メートルの地点に右舷側に約135度傾斜し船底を海上に現したまま海岸とほぼ船体が平行の状態で沈没した。
第二審裁決文 結 論
本件遭難は、その原因を探究すれば次のとおりである。
……洞爺丸は、車両輸送のため船尾に大開口を有し、これにしゃ浪の設備がなく、車両甲板に機械室及び缶室等に通ずる多数の諸開口を有して、その閉鎖装置は運航の実情から防水が十分出来ない特殊な構造の船舶であって、台風第15号が船舶の運航に危険が予想せられ、且つ、相当の異状性をもって函館地方に来襲する旨の警報及び情報が気象官署から発せられ、定時出航を見合わせて待機している場合、船長は船舶及び人命の安全について特段の注意を払い、台風の風浪による危険が過ぎ去ってから通常の航海に出航すべきであったのに、函館港附近において、風は順転して次第に増勢し、南々西22ないし25メートル、突風は32メートルとなり、気圧示度は低下のまま停滞して台風が通過し去ったとは認められない荒天下に、船長が多数の旅客と車両をとう載して、青森向け函館を出航した同人の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものである。……
 青函連絡船洞爺丸海難事故の詳細は海難審判書HPをご覧下さい。
http://www.mlit.go.jp/jmat/monoshiri/judai/20s/20s_toya.htm
船長の判断を狂わせた迷走台風とは……
既に西日本で死者不明者300名の被害を与えた迷走台風15号はその後も時速110kmで北上し函館海洋気象台では津軽海峡に接近するのは17時頃と予想していた。 船長の函館出港予定時刻14時40分は合理的判断と考えられます。だが…、電動桟橋の事故による出港延期が運命の分岐点となったのか!。
では荒天による海況を追ってみます……12時40分頃、青森行きの渡島丸(貨物専用)よりの通報は海峡中央部で風速25メートル、波8、うねり6、動揺22度、針路南東で難航中とあり、後続していた第六青函丸・第十一青函丸は海峡にさしかかったところで運航を中止して引き返した。
17時頃…強風も収まり一瞬の晴れ間は台風の目と誤認させるものであった。函館海洋気象台の観測では15時には気圧は983.3ミリバール、風速は19.4メートルに達したのち衰え、17.3メートル、18時にはさらに13.7メートルに弱まる。中心気圧は予想より高かった。この現象は台風の目ではなく閉塞前線による結果説が有力で、また台風は北上が減速し停滞しています。18時39分洞爺丸は函館青函連絡船桟橋を解纜、運命の出港をしてゆきました。
注)…走錨……荒天錨泊中に把駐力とプロペラの推進力を上回る風波で圧走して錨が反転、錨鎖を引き摺り船舶が流される事態。
注)…双錨泊…両舷の錨を投錨する荒天時の錨泊の方法   ……先へつづく…   ……前へ戻る

《海難》
(6) 京浜運河の第一宗像丸海難事故 或るヒューマンエラー
(5) 史上最大洞爺丸沈没事故と船長
(4) 大型貨物船カリフォルニア丸沈没と船長退船拒否
(3) 大型貨物船遭難ボリバア丸31名遭難とヒューマンエラー
(2) MOL COMFORT(コンフォート)沈没
(1) 商船三井コンテナ船 船体破断