[時事] 外国人研修生制度(1)−4 マリア ルス号事件

夏は暑い、暑いから夏なのか、しかし私には陽気も世間さまも昔の記憶とは一寸違って来ているように思われます。 戦前、我が家の冷蔵庫は木製で氷は1貫目とか1貫5百を氷屋が配達して来た。 扇風機は無かった…料理屋とか接客業の座敷などには黒いGE製の扇風機があり、団扇よりはるかに涼しい風から文明の利器を感じたものです。 よる就寝は座敷に蚊帳を吊り家族で団扇を使いながら寝てしまい、昨夜はむして寝苦しかった程度の話でした。…少し長く生きている私ですが、本題のお話は更に昔、明治の御世になり大日本帝国政府が誕生した時代に遡ります。……今回は歩き回る探訪ではなくエアコンで涼しくして外出せずにゆっくり書きたいと思うのですが、持って回るような話になりそうです。悪しからず!
……またまた安倍総理は労働力不足解消策として従来の外国人研修生制度の拡大強化を得々と表明いたしました。 これに対し、早速外国特にアメリカ合衆国の高官と在日アメリカ大使館のの反応は旧時代の奴隷制度、人身売買を糊塗した日本国政府主導の政策拡大と酷評しており(詳細後記)、既に私達国民もマスメディアを介して、この外国人研修生制度の美辞麗句の裏に存在する過酷な実態を垣間見ております。……
今回のお話は大日本帝国の法律では明治5年(1872)10月に既に人身売買禁止(芸娼妓開放令)法が先進国並みに発効しております。ところが、なんと昭和20年(1945)日本占領アメリカ軍マッカーサー司令官の公娼制度(女郎屋)廃止命令まで73年間以上に亘り少女身売り(人身売買)が公然と持続した実態から今回の外国人技能研修制度を解明したいと思います。 では骨絡みの人身売買国日本になぜ明治5年に法律「芸娼妓開放令」が出されたのか、経緯から初めます。

……明治5年(1872)7月ペルー国籍のマリア ルス号が中国アモイ(澳門)からペルー国に向かう途中、船体修理の為、横浜港に入港しますが、停泊中の同船から一人のクーリー(苦力)が逃亡しイギリス軍艦アイアンデューク号に救助され同船には231名の苦力が監禁されている事が判明、イギリス公使はマリア ルス号を奴隷船と判断し日本政府に中国人救助を要請します。
外務大臣(外務郷)副島種臣はマリア ルス号の出港を停止、苦力全員を下船させ中国人開放を条件に同船の出港許可を与えますが、裁判法廷でペルー船側弁護士による原状復帰による中国人移民契約の履行とを訴えますが裁判では奴隷契約と断定、人道に反し違法と不服申し立てを却下します。…しかしペルー船側のイギリス人辣腕弁護士の眼は節穴ではありません、彼が法廷に提出した資料には日本全国遍く存在する妓楼(女郎屋)の遊女達の年季契約証文(人身売買)と職業的罹病の医師所見書などの写しから、娼妓の人身売買と奴隷的奉公が公然不変的事実として日本に存在し、本件奴隷売買を日本帝国が非難する資格はなく、日本から非難される謂われは存在しないと指摘されます。 この国際的裁判で新興大日本帝国は主張の矛盾と行政の稚拙さを暴露され国家の威厳と尊厳は敢え無く潰えたのです。
世界雄飛の出鼻を叩かれた日本政府は急遽明治5年(1872)『芸娼妓解放令』太政官(政府の旧称)布告と「前借金無効」の司法省達をもって対外的に面子の立つ法整備ができましたが…、大した産業も無い日本では芸娼妓の拘わる大規模なサービス業(売春業)の沈滞、即ち今で云う経済の活性化の阻害を回避する司法行政が新たに発足します。…『近代的公娼制度』です。
……法的整備として内務省令や、例えば東京府などの地方機関が新「娼妓規則」をもって具体策を示し新公娼制度は人身売買を払拭して本人の意思、自由申告による娼妓登録制度を強調し、その登録も登録抹消(廃業)も娼妓の自由とする事を強調しております。
公娼制度の要旨とは……
●登録制  ●娼妓年齢制限 ●許可地集住(公許遊郭) ●職業病(花柳病)の検査 ●廃業の自由
しかし新公娼制度と云えども前借金なしでは娘を苦界に売る親は稀な筈で娼妓希望者の確保は難しく、芸娼妓屋経営業の衰退は理の当然であり複雑な私娼化も目に見えております。そこで政府の対応とは?……
以下……なぜ娘身売りが昭和の時代まで平然と行なわれていたのか?………先へつづく

《外国人研修制度》(4) 法律は蝉の抜殻か
(3) 外国政府機関の疑念と日本政府の趣旨
(2) 人身売買(娘身売り)の実態は法律より社会悪
(1) マリア ルス号事件