[風俗] 遊郭 赤線 青線(1)−12 著名文士が接した赤線の女達

未曽有の東北関東大震災による慟哭の災害映像から犠牲者、遭難した人々に手を合わせるばかりです、哀悼せずにブログを始めるわけにはゆきませんでした。 ……
災害地の情報を追いながら放心的な日々でしたが、ブログで更にエスカレートは面白く無い事、そこで無関係な他愛無い昔の赤線、青線、遊郭の女達の正体に迫りますが、著名文士の記した短編ものをピックアップしたパッチワークです。
《赤線の女達》
最初は千住遊郭跡に戦後出来た赤線地帯で五木寛之さんの体験した情緒的なお話です。千住遊郭とは旧街道千住宿遊郭を大正時代に整理して旧街道の西1km程の千住柳町に一括移転して出来た新遊郭です。旧遊郭は川越夜船で有名な新河岸川舟歌千住節にも唄いこまれております。
「千住女郎衆は錨か綱か 今朝も”二はい”の船泊めた」
「いくら秩父の材木やでも お金やらなきゃ木はやらぬ」…
風に吹かれて 五木寛之 角川文庫から。……そのころ私は、池袋の近くに住んでいた。立教大学の前を通りすぎて、もっと先だ。 十畳ほどの二階の部屋に、十人ほどのアルバイト学生がすみこんでいた。 私もその一人だった。…仕事は専門紙の配達である。…そんななかでも、やはり時には女のいる街へ出かけた。どこをどう工面したのか、記憶はない。私の知っている北千住の店は正直楼といった。女の子の名前が、マツという。 
……月のなかばに、週末をさけ、出来れば雨降りの夜をえらんで三河島の駅から歩いた。 夜半を過ぎると、四百円位で泊ることが可能なことまあった。 だからといって、決して待遇が悪いということはなかっように思う。女の足音を待ちながら、雨の夜明けに戦前の<家の光>などを読んでいると、そのまま眠ってしまうことがあった。朝、五時から自転車を走らせているのだから無理もなかった。 冬の終り頃だったろうか。そのまま、女が金を帳場に持って行った間に、眠り込んでしまったらしい。目を覚ますと、五時だった。女は私の隣で寝ていた。「なぜおこさなかったんだ」「だって、兄ちゃんが、あんまりぐっすり寝込んでるもんだから」
東北から出て来て六か月という女の子は、しんそこ恐縮しているように見えた。自分が帳場に行ってもどってきた何分かのあいだに、あんたはもう眠っていた、よほど疲れているに違いないと思って起さなかったのよ、と彼女はいった。「帰る」と私は言って服を着た。早朝の配達の時間がせまっていた。「まだ暗いよ」「配達の仕事があるんだ」彼女は、玄関で私の靴をそろえ、「ごめんなさいね」と、訛りの強い言葉で囁いた。「そこまで送っていく」私は、その日に限って青自転車できていた。車のスタンドを靴先でパタンとはねて、私は走りだした。「ちょっと待って」と女がうしろから叫んだ。彼女は着物の前を片手で押さえて玄関に駆け込んだ。何か果物でも持って出てくるのだろうか、と私は想像した。女が出てきた。「ほら。後のタイヤが抜けてる」と、彼女は手に下げてきた空気ポンプを差出していった。私は、がっかりしたが、自転車を立て、空気ポンプを受け取った。「あたしがやってあげる」女はたくましい腕を見せて、空気ポンプを押した。ギュッ、ギュッと音を立て、タイヤが固くなった。女はポンプをはずすと、手でタイヤをにぎり、「固くなった」と、言って、一瞬、照れたように笑った。「これで大丈夫」「うん」「あんまり来ないほうがいいよ、こんなところ」「眠るだけなら家でも眠れるからな」皮肉を言って私は走り出した。暗い空に、巨大なお化け煙突の影が見えた。みち足りた睡眠と、不満な欲望とが入りまじって、妙な具合だった。風が冷たかった。日本橋への道は遠かった。「固くなった」と言って照れた女の顔を思い出すと、私はなんとなく、良かった、と思うことがある。
だが、それはすでに滅びてしまった祭りの笛太鼓だ。それを復活させようとは思わない。失われたものは、二度と返ってこない。それが本当なのだ。

東京百話(天の巻)種村季弘偏 ちくま書房の「色町、赤線」の項に吉行淳之介の《連呼》という短編があります。 これは赤線NO1の人気”新宿2丁目”の話しで、当時私達は単に”二丁目”と云えば総て通じる場所でした。 この場所の有名な逸話は現天皇が皇太子の頃学習院大へ通学する道筋で原色の街に目隠し板を建て回した場所です。 天皇と同世代の私は内側を徘徊、尊きお方は目隠し板の外側と居場所は違いますが、若し、尊きお方様に当時の感慨を伺うとすれば、…「世間の実体を隠され私は人権侵害されたようだ」…あるいは「見ると目の衛生に悪い人間が居る場所と聞いた。皆が私の安全を守ってくれた目隠し板」とお答えになるのか? どちらでしょう…では
無作法のすすめ《連呼》 吉行淳之介 角川文庫より
新宿の赤戦地帯に、若くて小柄で、へんな女がいた。クライマックスに達したとき叫ぶ言葉がへんなのだ。「オマ××、オマ××」と連呼する。伏字のところは容易に想像がつくことと思うが、共同便所の壁にしばしば見かけられる卑俗な名称を、連呼するのである。要するに、その名称の部分がはなはだしく快感を覚えているということらしい。 ある夜、旧友たちに久しぶりに会い、「悪所へでも出かけてみるか」ということになった。「面白い女がいるから紹介しよう」と、私はC君をその店に誘った。
……C君と彼女とを部屋に残して、私は新しくきた女と別の部屋へ引き取ろうとしたのだが、私の心づもりであった。したがって、新しく入ってきた女を私は敵娼(あいかた)ときめて、そのような態度をとっていた。この新しい方の女性は、なかなかの美人である。C君はその女の方が気に入ってしまった様子なのだ。 私としてはそれならそれでいいわけで、C君のその新しい方の女性と一組にして、部屋に引取らせた。 ところが、私と二人きりになると例の彼女が怒りはじめた。「あんた、あの人の方が好きだったのでしょう」「べつに、そんなことはないよ」「でも、態度に現れていたわ」私は新しくきた方の女を敵娼ときめていたので、おのずから態度にその気持ちが現れていた。それが、彼女の自尊心を傷つけた模様である。彼女は、ヒステリックに怒りつづける。寝巻きに着替えているときも、布団に入るときにも、怒りつづけて、悪口雑言の投げつけてくる。私は面倒になって、彼女を押えてけた。その瞬間に、罵言がぴたりと止んでべつの言葉が出はじめた。彼女だけ勝手に、どんどん坂を登ってゆき、登りつめたところで、「××××、××××」と連呼した。
その声が止まると、ごく僅かのあいだ静かになった。そして、すぐにまた、悪口雑言が最前と全く同じ調子で彼女の口から出はじめた。 私は呆れて、むしろ可笑しくなった。ところで、このとき私は敵娼をC君と取替えたのが、思いがけぬ幸運となった。なぜならば、C君が鬱陶しい病気に罹ったことが、しばらく経って分ったのである。

青線、遊郭は……次へつづく

遊郭 赤線 青線》
(12) 元吉原遊郭 遊郭という街が出来た
(11) 遊廓という街があった-2
(10) 遊郭という街があった-1
(9) 吉原遊女 投げこみ寺、淨閑寺昨今
(8) 吉原遊郭 裏方従業員
(7) 現代吉原遊郭変遷 ソープ街を歩く
(6) 玉の井案内 向島と濹東綺譚
(5) 玉の井案内 私娼街の魅力 山本嘉次郎さんとエノケン
(4) 玉の井案内 夢か現か(うつつか)幻か。
(3) 現代異端ストリートガール(街娼)考
(2) 著名文士と青線、遊郭の女達-2
(1) 著名文士が接した赤線の女達-1