[不条理] 明治と維新の時代(3)−6 薩長新政府の文化破壊

明治維新の改革は近代国家日本国の勃興期として意義のある時代と評価されております。 
しかしながらこの時期は又封建的な大日本帝国の草創期でもあり、…ちょっと見逃せない策謀として、維新戦争の勝者の薩長公家は国家支配に神様、、、神格化した天皇を絶対君主として立て、薩長公家の連中はその影に隠れてスムーズな国家統治を企んだ単純な構造なのです。 敗戦までの国家行為はすべて天皇詔勅により行なわれるシステムを憲法として作り上げております。分りやすい?、矛盾した話を一寸!…
…敗戦日本帝国の大イベントが連合国軍の極東軍事裁判です。天皇詔勅により開戦した太平洋戦争でしたが、実戦を推進指揮したA級戦犯諸氏は自らの戦争責任を認めずに、刑に処せられて行きました。
なぜか?、明治以来軍人にとっては、神格天皇に属する『統帥権』の侵害は万死に値する最高の罪悪でした。 無条件降伏という現実の前には、覚悟を決めた戦犯諸氏にとって開戦、戦争遂行の真実と責任を述べ潔く正々堂々と逝きたかったでしょう。 しかし、軍人たる自らの名誉の為には大日本帝国の虚構の矛盾を自ら負う選択肢……あの作戦は自ら企画し、実行した責任者は私です。…とは神たる天皇統帥権侵害になります。一方、陸海軍統帥権天皇に上奏し決定責任者は天皇です。とも云えないのです。…帝国憲法天皇は『神聖にして侵すべからず』とされています。…極東軍事裁判はウエッブ裁判長の《Death by hanging》の判決で7名は刑場の露と消えました。 …現代人にとっては難解なロジックかも知れませんが!。
戻りまして、明治政府のこの政策に派生して、神道の司祭者天皇家の宗教を国教とした宗教国家が形成されましたが、この時期、付随した宗教政策として仏教の弾圧が行われます。 その名も神祇官(古代律令制度、のち内務省)と称する宗教官庁を作り廃仏希釈の振興と、神仏習合の禁止を押し進めました。
古来日本列島では、山川草木、森羅万象を畏敬し神々として崇めてまいりました、日の出、日没など太陽の恵みを拝み、偉大な山や海の包容、竈に燃える火に感謝し、雷電、嵐の自然を畏敬し、迸る水の流れ。豊作豊漁に感謝する土俗宗教の名もない神様です。 この列島に大陸から仏教が渡来しますが、この仏教lは救済、慈悲、道義など格段の理性、近代性をもって貴族、民衆に本質的な宗教を開眼させる事になりました。 聖徳太子法隆寺奈良の大仏など真っ先に思い浮かびます。
なぜ、先進宗教の仏教流入期に素朴な土俗の神々が淘汰されずに残されたのか? 一つの疑問です。…
天上天下唯我独尊という言葉がありますが、仏教とは共存融和的な宗教と云えるのでしょうか?、歴史の事実は日本の土俗の神々に好意を示し、仏教と習合し、宗教性を加味した神々に昇華させて近代には神道として存続しているのです。
それではこの古来の土俗の神々が現在の神道皇国神道国家神道)に変化した過程を追跡してみますと、総ては権力者による宗教利用の足跡なのです。
一番目として律令時代の文書として有名な延喜式神名帳など記紀古事記、日本書記)神話の神を神社に当てはめているのが分り、朝廷の勢力を誇示する官社の指定です。 記紀完成献上前に存在した土俗神から置き換えた事は明瞭です。…
同じ事が明治時代に再び行われ、神社存続条件として神社名、祭神の変更を強制して現在に至っております。それまでの宗教文化は先進宗教の仏教と習合することで神社の存在も定義されて参りましたが、神道記紀神を祀る)の国教化で習合神社の弾圧を始めたのです。
余り話が立て込んでも面白くありませんので、具体的な現在の神社を調べてみましょう。
よく見かける、神社さんと隣り合わせのお寺が別当寺と呼ばれる形で、お寺の管理下にあった神社を明治時代に強制的に分離独立させたものです。 また明治政府神祇官により、神仏習合を理由として神社名の変更を強制された神社名。
明神、大明神、権現社、大権現、天王社、牛頭天王社祇園社、妙見宮、稲荷につては不明、など。
少し詳しく言葉の意味から探ってみますと、
◎明神……神仏習合<本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)>した主祭神に対する名称。
本地垂迹説」とは→仏(如来、菩薩など)が世の人々を救うために仮に神の姿としてこの世に現われたとする神仏同体の説で鎌倉時代に至り神社に定着した。
◎権現……仏の仮の姿を現します。…大日如来天照大神、。 
「権」とは→今様に云えば大臣に対する副大臣とか代表代理。古来の官職として大納言に対する権大納言、或いは権中納言など。
祇園……釈迦の地、インド祇園精舎の守り神牛頭天王を祀る。
祇園精舎とは→平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」に出てくる祇園精舎はインドの寺院で日本語に転化した名前ですが、正式名称…祇樹給孤独園 精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ)
◎天王……祇園精舎の守り神の牛頭天王の事。
◎妙見……一例として豪族千葉氏の氏神妙見菩薩で妙見宮として神社で祀った。(現、千葉神社)明治期に東京近辺で神社名、祭神の変更を強制された有力神社名を挙げてみます。
  <現神社名>      <旧神社名>
● 神田神社  ………神田明神
● 氷川神社(赤坂)……… 氷川明神社
● 氷川神社(渋谷)……… 氷川明神社
● 山王神社(赤坂)………日吉山王権現
● 浅草神社  ………三社権現社
● 鳥越神社  ………鳥越明神社
● 王子神社  ………王子権現社
● 鷲(おおとり)神社(浅草)……鷲大明神社
● 牛島神社  ………牛御前社
● 白髭神社  ………白髭明神社
● 白山神社(文京)………白山権現
● 白山神社荻窪)………五社権現社
● 虎ノ門神社  ………虎ノ門金比羅
● 愛宕神社  ………山上愛宕山権現本社
● 根津神社  ………根津権現
● 大鳥神社(目黒)………大鳥明神社
● 須賀神社(浅草橋) ………祇園社
● 羽田神社  ………牛頭天王社
● 素盞雄神社(千住)………牛頭天王社
● 荏原神社  ………天王社
● 品川神社  ………牛頭天王社  
● 秩父神社秩父市)………秩父大宮妙見宮
● 八坂神社(佐原)………感応天王社
● 千葉神社千葉市)………千葉妙見宮
では全国的に展開して数で圧倒的存在の八幡神社と八坂神社を調べてみましょう。 
八幡神社…八幡社全国4万4千社の本社大分県宇佐市宇佐八幡宮の主神が応神天皇です。 この天皇様がそもそも神仏習合の原因でした。 東大寺要録などに次の記載が残されております。
大化元年(645)以前の571年。…我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(応神天皇)、 護国霊験の大菩薩なり。と御託宣があったとされ、自ら『菩薩』を名乗っておりました。 海外雄飛した和寇や戦国武士が掲げた『八幡大菩薩』は譽田天皇廣幡八幡麻呂と云うことになります。 
皇国神道を目指した明治新政府には手に負えない事例だったでしょう。
●八坂神社…八幡社と拮抗する全国展開の神社です。 本社は祇園神社、祇園祭で有名な現在の京都八坂神社になります。 祭神は云わずと知れた牛頭天王ですが、明治以後は神仏混淆した素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
…そうは云っても伊勢神宮は皇祖神天皇家の神様に神仏習合など無い筈!と考えますが…、
●神宮寺…500年代に仏教渡来後、人々は仏の慈悲救済を求めるようになり神々も又、人々と共に仏の許に在ると考えられて奈良時代700年代に入ると苦悩救済を求める神々のために神社境内、内外に寺が建てられ『神宮寺』と呼ばれます。 奈良時代に境内に神宮寺が建てられた神社として、《伊勢神宮》、《賀茂神社》、《鹿島神宮》の名があるのです。 また、八幡大菩薩を主神とする宇佐八幡宮境内には明治初年まで神宮寺が実在しておりました。
と云うことで私には今日の神社は仏教の庇護の下に育てられたものに見えるのです。 やはり明治政府の政策は日本の文化を破戒し、浮き草の根を切り離して日本国漂流の一端でもあったのでしょうか。……次へつづく
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 《明治と維新の時代》
(6) 近藤勇終焉板橋宿始末
(5) 疑惑の女官達(孝明天皇急死事件)
(4) 脆弱な歴史観《孝明天皇急死事件》
(3) 薩長新政府の文化破壊
(2) お仕置き御用という仕事 浅草弾左衛門
(1) 浅草弾左衛門