[人物][歴史] 明治と維新の時代(1)−6 浅草弾左衛門 

昭和20年、敗戦を迎えて国民に甚大な犠牲を強いた戦争の時代は終り、アメリカンデモクラシーの占領時代を経過、新憲法と共に人権が重要な根幹となる民主主義社会が実現してまいりました。
しかし人間社会の実情は!、未だ侵害は差別、人権問題として常に身辺に存在しています。
今回は身分差別に特化し、江戸時代の人権問題の被当事者であり、キーマンでもあった弾左衛門、…弾直樹の話になります。
徳川家康の江戸入府いらい幕府の身分制度は士族以外は農民、町人、被差別民と分断され、すべては士族に相対する身分差別で特に被差別民に関しては過酷な人権差別を適用しておりました。 
現代ではすでに歴史用語の類に属しておりますが、幕府の公文書、主に奉行所の申渡し書などの文書上に記載された分限、穢多、非人などの表記に関しては文中に限定して使用させて頂きます。 なお弾左衛門支配下の穢多身分者の組織”新町役所”の構成者及び一統の者は自らの身分を長吏と名乗っております。
しかし徳川幕府が被差別民を公に規定した文書などはなく、中世期以前の朝廷を中心にした貴族社会、仏教など宗教社会から派生したものらしく、この人達が共有した死の恐怖から、これを穢れとし、係わる仕事、或いは仏教による殺生などのタブーが絡む事柄を遠避けようとした行為が発端ではないかと思われます。 
つい敗戦前まではこの思想は一般的な考えでもありました。 各地のお祭りや物日、浅草寺境内などには見世物小屋サーカスなっどが掛かり、ロクロッ首やヘビ娘など怪奇な見世物小屋で賑わい、怪しげな見世物の呼び込みセリフの定番は…〜親は代々狩人で親の因果が子に報い、今ではかような有様になりました。〜花ちゃんや〜。あぃあぃ…
具体的な仕事として、お寺や神社の行事の”お清め”と云う仕事に携る人、寺奴、神人などです。 また武士階級などには甲冑、馬具など武具の軍事主要材料の皮革の製造者が隷属しておりました。
もともと差別の歴史などいまだに分らないそうですが中世以前の貴族や宗教者によって清める人達を穢れにパラドックスさせた原始的な意識、死→穢れが農民層にも普及し、影響したのが原因かも知れません。
今戸、山谷堀跡公園の中ごろに聳える都立台東商業高校(現、都立浅草高等学校)の敷地が徳川幕府御用の弾左衛門の屋敷いわゆる新町役所の在った場所です。
注)都立浅草高等学校…2006年に台東商業(全・定)・上野・両国・墨田川・小松川・小岩の定時制課程を統合し、都立では2校目の単位制高校として台東商業高校校舎を継承し開校された。午前部・午後部・夜間部の3部制に分かれ単位制 普通科である。

上)都立浅草高等学校(旧、台東商高)下)今戸1丁目本龍寺墓地整理改葬された弾内記氏先祖矢野氏墓。
維新後、弾内記(直樹)こと弾左衛門明治新政府に提出した江戸時代の新町役所、幕府御用十四ケ条の報告書による実態とは。
弾左衛門とその時代 塩見鮮一郎著 批評社より。
一、お仕置き(処罰)御用。
一、時の太鼓、陣太鼓、西洋太鼓の皮張替。
一、伴綱(乗馬の”たずな”)の御用。
一、燈心(照明油の油芯)御用。
一、御法事(仏事)手伝。
一、両町奉行所へ人足差出と溜(牢屋など)めの御用。
一、両町奉行や牢屋敷火災のおりの消火。
一、御用の馬の倒れたとき、出役の者で埋葬。
一、長吏以下のお仕置き(処罰)。
一、御府内の無宿(逃亡農民など)取締り。
一、お尋者の探索。
一、海陸軍つき病院御用。
一、犬追物(弓矢を用い犬を射る武術)御用。
一、堀や川の不浄物片づけ。

上記を目安に弾左衛門の権限、職掌範囲など大まかな話を続けます。
そもそも弾左衛門江戸幕府の端緒は、徳川家康1590年(天正十八年)江戸入府のおり、お出迎えして鎌倉の源頼朝公以来の長吏の頭領たる由緒書(頼朝御証文)を提出、引き続き支配権を懇願し御用を受け賜る事になります。
弾左衛門とその時代 塩見鮮一郎著 批評社
弾左衛門由緒書の一部分。
鎌倉藤沢長吏弾左衛門頼兼写シ
一、長吏 座頭 舞々 猿楽 陰陽師 壁塗 土鍋師 鋳物師 辻目暗 非人 猿曳 弦差 石切 土器師 放下師 笠縫 渡守 山守 青屋 坪立 筆結 墨師 関守 獅子舞 蓑作り 傀儡師 傾城や 結城屋 鉢叩き 鐘打
右の外は数多付有之、是皆長吏はその上たるべし、此内盗賊の輩は長吏として可行之、 湯屋風呂屋るい、傾城屋の下たるべし、人形舞は二十八番の外たるべし。          頼朝 御判

と云うことですが真偽のほどは不明です。弾左衛門関八州、甲斐、駿河陸奥など十二カ国の上記身分者を支配し主な仕事は江戸奉行所の手伝いで処刑、牢番、警備のプロとして職掌毎に配下を派遣しておりました。
幕府が認可した新町役所は、囲内とも呼ばれ支配地域の配下身分者の訴状や裁き、牢、お白洲、公事宿湯屋、寺小屋まであり平の者が住む長屋が連なり、彼の屋敷をはじめ、家老や手代、書記もいて独立した地域を形成していたようです。
彼の権力を支える財源としては独占権を許された斃牛馬(死んだ牛馬)の処理、廃牛馬の取得に伴う皮革の採取販売と燈心(蝋燭、行灯など照明具の油用)の独占製造販売権に裏付けられた豊富な資金を更に武士、町人などには穢多金などと蔑視されながらも貸し付けていたようです。
浅草弾左衛の支配下には更に下位身分の非人の大きな組織があります。
新町の近く新吉原遊郭の裏には非人溜まり(囲い)があり代々、車善七を名乗る頭領がおります。南品川の品川寺(ほんせんじ)付近にも品川非人溜まりが在り、藤左衛門を首領にそれぞれ小塚原刑場、鈴が森刑場の仕事を弾左衛門の配下の指図で行っておりました。 
その他非人身分者の主な収入源は門付け、芸能、乞食、紙くず拾い、清掃、など多様な仕事が指定され非人溜まり内の居住を強いられております。 幕府の遠謀か? 被差別階層を更に分断していた事になります。
また各地からの逃亡農民や遊民など住所不定者は野非人と称され定期的に刈り込まれ佐渡金山や非人溜まりに送られましたが、この仕事は弾左衛門職掌で行われておりました。 
江戸時代の象徴的な事例として心中者と姦婦、姦夫 女犯(僧)が死罪を免れれば日本橋たもとで「三日晒」しの後、非人溜まりの住民となります。
すでに身分差別が違和感のない社会状況であったのか? 松尾芭蕉神田上水関口堰工事に従事の延宝年間に残した句、”五月雨や龍燈揚ぐる番太郎” …番太、番太郎は非人の職掌を表す言葉です。
しかし反面、人間を人間でないと否定する無理矛盾は幕府奉行所と言えども百も承知だった証か? 着衣、髪形その他過酷な外見上の差別を強制します。
さて、ここからが本題、長吏最後の支配者浅草弾左衛門が実践した被差別者の人権復活への果敢な行動です。
徳川幕府最後の十五代将軍徳川慶喜が就任、鳥羽伏見の戦で敗退して大阪城に滞在の頃、弾左衛門は幕府権力の衰退を察知したのか宿願の醜名除去の願いを奉行所に申し立てます。
自ら”穢多頭 弾左衛門 辰四十六歳”と表記して提出します。 ついに幕府北町奉行所は民衆支配の根幹、身分制度を放棄した申し渡しをしております。
 記   「出格の訳をもって身分平人に仰せられる」。
レボリューションの到来を確信した弾左衛門は慶応三年二月新町の手代六十五人の平人への引き上げも実現、さらに弾内記と改名し、最後の悲願、穢多身分全員の身分引き上を一年間五十万両献上案をもって実現するよう申し出ます。
しかしながら命脈尽きた幕府はすでに瓦解、徳川慶喜は江戸を引き払い水戸へ退去謹慎して助命嘆願の姿勢を続けます。
戊辰戦争も決着、明治新政府が発足して弾内記は早速先進西洋文化の取得へと走り、明治二年には…”従来皮革ヲ以テ専業トスル我部下ノ者ヲシテ欧州製靴法ヲ伝習セシメ大ニ之レカ改良ヲ図ラバ将来国益ノ一端タルヤ疑ヲ容レズ” と語りアメリカ人技師を招聘し大規模な製靴業をおこします。
同時に生涯の夢でもあった配下全員の醜名除去の嘆願書を東京府へ提出しました。
ついに明治四年八月に至り歴史的”解放令”が新政府から発せられます。 
布告 『穢多非人等ノ称披廃候条、自今、身分、職業共、平民同様タルヘキ事。』  
                 辛未八月        太政官

とありました。  注)太政官律令時代の名称、明治時代の政府の呼び方。
しかしながら悲願の成就は醜名差別と引き換えに得ていた彼の権力、経済的特権の雲散霧消を意味していたのです。 
一平民と成った弾内記は製靴企業の創業者となりましたが成功の曙光を見ることも無く明治二十ニ年に亡くなりますが、晩年彼は心境を語っています。
今ヤ数百人ノ生徒ハ熟達シテ全国普ク皮革製造所ノ設ケ無キハ無ク、諸靴製造人ニ乏シカラザルヲ見、其志業ノ貫徹成就セルヲ歓ベリ。”と。
この徳川三百年の支配体制が崩壊する時、差別者と被差別者の両極端にいた将軍慶喜と弾座衛門には図らずも共通した不覚がありました。
将軍慶喜に付きましては水戸家の体質から天皇隷属思想でありますので公武合体で良しとして、悪くても新政府首班くらいは自らの統治権力を推して当然と楽観していた節があります。
弾内記もおなじく長期にわたる社会制度の一気崩壊とは考えず徐々に身分制度改革が進み、猶予の間、権力と権益を維持しながらソフトランディングのスケジュールを描いていたのかも知れません。
共に先祖代々の世襲権力者の甘え楽観がドラスティックな時代に対応出来なかった事例なのでしょうか。
世情民心の不可解な一面もあります。解放令や幕府身分制度の撤廃が農民による解放令反対一揆西南戦争など士族の不平不満が顕著に現れました。
身分分断制度を総括してみますと、徳川幕府三百年、大日本帝国七十余年などの独裁強権統治においては有効な手段であった事実は間違いありません。……次へつづく
 
  引用参考資料)
弾左衛門とその時代   塩見 鮮一郎   批評社
部落史からみた東京   本田 豊     亜紀書房
東京の被差別部落    西 順蔵     明石書店
江戸の非人       本田 豊     三一書房
東京の中の江戸     長谷 章久    角川選書
 

《明治と維新の時代》
(6) 近藤勇終焉板橋宿始末
(5) 疑惑の女官達(孝明天皇急死事件)
(4) 脆弱な歴史観《孝明天皇急死事件》
(3) 薩長新政府の文化破壊
(2) お仕置き御用という仕事 浅草弾左衛門
(1) 浅草弾左衛門