[将軍家][地域] 崇源院お江与の方 (5)−7 大奥御殿、家光御出生の間

戦国の世に幸運、奇跡の女性と云われる”江”崇源院お江与の方の集大成自己実現は二代将軍秀忠正室になった、お江戸の地で完結しております。 
何と云いましても徳川各代将軍正室として稀有唯一の存在とは…、「生まれながらの将軍」と自負し、家康公の江戸城整備を完結に導き諸侯を臣事させた『三代家光(竹千代)』と後水尾天皇中宮として109代明正天皇を出生した『和子(将軍秀忠5女)』を生した正室であり、更には自己実現の極致か?将軍秀忠に側室を許さなかった事でしょう。 
彼女の出自の誇りと、戦国稀有な運命を克服した自負心が、お江戸の地で反映結実している様に見えました。
では徳川三代将軍家光出産と云う大きな筋目に係る遺構の探索です。
小江戸川越と呼ばれる埼玉県川越市は蔵の街です、有名な史跡観光地です。 この街の古刹、天台宗喜多院には二代将軍秀忠の正室となった”江”が竹千代…三代将軍家光を出産した江戸城大奥の建物が存在するのです。
     
           
江戸城御殿と川越喜多院
なぜか?、何時ものパタンでその由来から始めます。
江戸入府を果たした家康をして”天海僧正は人中の仏なり恨むらくは相識ることの遅かりつるを。”と言わしめ、真摯に帰依した天海僧正の寺が喜多院でした。
家康没後寛永十五年(1638年)の川越大火により喜多院も堂塔伽藍をことごとく焼失します。 時の三代将軍家光は直ちに江戸城紅葉山の御殿を解体、川越喜多院に運び寺を再建復興させたのですが、移築建物の中に”お江与の方”が家光(竹千代)を出産したお部屋とか大奥総取り締まり春日の局の使った部屋がある御殿建物が含まれていたのです。
この川越喜多院の大本堂、客殿、書院、庫裏は国宝や重要文化財に指定、公開され、参詣者は拝観させて頂けますが、内部撮影は認められておりませんでした。已むを得ず私の感覚で御紹介……
「家光誕生の間」
十二畳半の部屋に上段の間が設けられ襖絵には山水の大和絵、天井の格子には牡丹など四季の花が描かれる華麗の中にも四百年を遡る年月が醸し出す独特の雰囲気を肌で感じることが出来ました。
「春日の局化粧の間」
お江与の方、家光出産の間から廊下伝いの建物、書院の奥の一間が春日の局化粧の間と伝えられ、八畳間ほどの一見普通のお座敷ですが、何か開放感が感じられません。よくよく見回しますと天井が低いのです。
その原因とは、隣の部屋には屋根裏に登る取り外し階段が備えてあります、隠し部屋が仕組まれていたのでした。…
何の為に造られたものか? 最早憶測するしかないのでしょう。 と云う具合で、この建物は大奥の雰囲気を彷彿させておりました。巷間、春日の局にまつわる噂も色々取り沙汰されているようです。
     
《お江戸日本橋見たけりゃおいで 小江戸川越蔵の街》
”春日の局”の東京遺構は文京区湯島4丁目(春日通り)の麟祥寺に色々謂れのある立派な墓があります。 さらに後楽園ドームの北、文京区役所脇の春日町交差点など一帯は三代将軍家光から拝領した所領屋敷跡ともいわれ地名として現在に伝わっております。 ……次へつづく…  ……前へ戻る

崇源院お江与の方》
(7) 春日局に係わる噂話
(6) 軌跡の接点 母娘お江与と千姫
(5) 大奥御殿、家光御出生の間
(4) お楽しみの切り口春日の局
(3) 今に残る霊牌所と各地重要文化財群
(2) 幸運奇跡の生涯-2
(1) 幸運奇跡の生涯-1