[探訪][探訪] 向島を歩こう(5)−5 世界一のスカイツリーと東武鉄道

今回は江戸時代から一転、超現代へ!、お江戸向島に建設中の世界一電波塔の主体事業者東武鉄道の基盤遺構に出現したスカイツリーのお話です。                     

この近隣地帯はお江戸の視点で見ますと風光明媚な柳島と妙見さまの法性寺、蔵前通りの法恩寺橋界隈は夜鷹の巣窟吉田町や太田道灌ゆかりの法恩寺など興味深い場所ではありますが、いずれも空襲戦災地で、言われて驚く程度の場所柄ですから最早お江戸は昔の昔…、居住者の為に快適な街創りが第一番の街でしょう。但し、江戸情緒ピカ一番の墨田堤界隈を除けば、観光資源としては難点があるでしょう。
では、スカイツリーの敷地は? ここは昭和6年まで浅草駅と自称?した向島業平橋東武線終点浅草駅の貨物線ヤード跡です。
北十間川に繋げたドック(船渠)と上屋があり東武鉄道貨物と水運(ダルマ船や高瀬舟など艀)とリンクして集配していたのでしょう。 その他貨物自動車や荷馬車(馬力)なども集まって来ていた筈です。 
このドック跡は昭和30年代の地図にも明確に記載され、スカイツリーの本体の地盤の一部に掛かっております。
私の記憶では、今を時めく高層都市汐留貨物駅跡にも浜離宮に接する汐留川に広大な艀(はしけ)桟橋のスロープを上屋の大屋根が覆っていたのを思い出しました。(昭和20年敗戦後)
さてこのスカイツリーTV塔が東武鉄道旧浅草駅(現、業平橋駅)のヤードに建設中ですが、事業主体の東武鉄道の時代推移を調べますとどのような由緒の場所かが判明すると思います。しばらくお付き合いください。
東京の文化文明が山の手方面に移動した関係で東京東部と関東北部に展開する東武鉄道は地味な会社のイメージがありますが、実は創業時期や鉄道規模などは関東屈指、東京私鉄の代表会社です。
英国ベイヤピーコック社の蒸気機関車12輌を輸入、明治32年(1899)には北千住駅久喜駅間が開通。
明治35年には業平橋(浅草駅)まで延長されましたが、路線計画の曳舟〜亀戸〜越中島(深川)の曳舟亀戸間が開通して、急遽総武線(現JR)に乗り入れ両国駅を始発駅に設定し一旦旧浅草駅を廃止、明治37年には両国駅から運行を開始し、現在の東武亀戸線は一時期主要幹線だったのです。
明治43年路線が伊勢崎まで達して伊勢崎線業平橋〜伊勢崎)全線開通を機に東武鉄道本社を業平橋に設立し旧浅草駅(業平橋)が起点として再運用され、関東一帯の貨物輸送業務の根幹として業平橋(浅草駅)に広大な貨車のヤードが出来上がったのしょう。
しかし、その後の道路整備と共に鉄道貨物は衰退し東武鉄道も平成15年(2003)9月すべての貨物取り扱いを終了しました。
また、現在の浅草駅は昭和6年(1931)に浅草東武ビルが完成し松屋デパートと共に本当の浅草に東武浅草駅開業して、業平橋から隅田川を渡る線路が開通します。旧浅草駅は業平橋駅と改名されたのです。
いまや東京には前代未聞の隅田川東岸地域に大観光地が出現しようとしておりますが、事業主体である東武鉄道も永年お世話になった向島の為にも更に一押し、……突飛な話で恐縮ではありますが、東武鉄道文化遺産を集約してスカイツリー付帯施設として旧東武浅草駅(業平橋)を復元し明治大正クラシック鉄道ミュウジアムを開設、「煙となんとかは高いところに上がる」だけで済ませずに、更に魅力を付加しては如何でしょうか。
埼玉県居住者として気が付いた事は東武鉄道には昔の汽車の機関庫や輸入蒸気機関車、その他車両など文化遺産を多数保存しているのです。
勝手な話しばかりで、申し訳ありませんでした。  ……前へ戻る… 
 
向島を歩こう》 
(5) 世界一のスカイツリーと東武鉄道
(4) 牛島神社の撫で牛談義
(3) 江戸石工文化の魅力
(2) 御祈願 向島三囲神社
(1) 墨田区向島