寺社

[将軍家][寺社]  日光東照宮(2)−4 家康公霊柩遷座の行程

徳川家康公の霊柩が久能山東照宮から日光山座禅院に安置までの行程をみますと、久能山から東海道二宮までは将軍引退後の居城駿府から江戸往還に使用した御成御殿、お茶屋御殿と小田原の城内に宿泊、二宮から北上し日光までの行程宿泊地の主要地点として天海…

[寺社] 日光東照宮 (1)−4 建立 なぜ日光なのか。

先ず、二代将軍徳川秀忠により東照宮が日光に建立された経緯から、始めます。 <日光東照宮の謎 高藤晴俊 講談社現代新書より> ……元和二年(1616)一月二十一日、駿河の田中に鷹狩りに出かけた家康は、その夜にわかに発病し、同月二十五日駿府に帰城し…

[寺社] 船橋 市川の探訪 (2)−4 法華経寺大荒行、本阿弥光悦、伊藤忠太

法華経寺の11月の行事に大荒行の入行式と聖教殿の国宝、文化財のお風入れ、お会式の3つの大行事が毎年行なわれております。 例年11月3日、聖教殿の「お風入れ」で収納された国宝、重要文化財が一般公開されます。先日参詣した時この拝観者の通路整備など作業…

[寺社][地域] 船橋 市川の探訪 (1)−4 中山の巨刹 法華経寺

下総中山に大きなお寺さんが在るのを知ったのは15,6年前の事でした。 千葉と云えば成田山新勝寺が思い浮かぶのですが、東京に近い場所に国宝、重要文化財の宝庫が在ったのです。 市川には戦後、文豪永井荷風が移り住み、市川から船橋にかけて、隈なく散策し…

[地域] 東海道品川宿(6-6)歩行新宿、品川神社と東京サウスゲート計画の進捗。

東京サウスゲート計画、下水道局浄水池空間有効利用1号NTT都市開発ビル工事 お江戸日本橋から品川宿に入りますと旧街道を歩行新宿(かちしんしゅく)と呼ばれます。 本来品川宿は目黒川を挟んで北品川、南品川とされ、更に江戸寄りに新宿が認められ三箇…

[寺社]  東海道品川宿(6-5) 南北の天王さま 荏原神社、品川神社。

大井から旧東海道品川宿を歩きましたが、街道筋は雑然とした昔の面影を残す商店街が続きますが、街道の山側へは無数の路地が残り、奥にはお寺があり懐かしげな民家の雰囲気も楽しめます。 時間をかけて路地を出たり入ったりするのが、品川宿散策のコツかも知…

[社寺][将軍家]  東海道品川(6-4) 東海禅寺 禁中並公家法度の断罪沢庵和尚

徳川家康公制定の二大法度、武家諸法度と禁中並公家法度は天皇によらない日本国統治の不磨の大典と言えるかも知れません。 上)東海禅寺境内 下)東海寺大山墓地 鉄道の父井上勝 現在日本国は、すでに幕藩体制と武士の時代ではありませんから武士法度は措く…

[人物][寺社][幕末]  東海道品川(6-3)海晏寺 岩倉具視の危い塋域

品川海晏寺(かいあんじ)は江戸時代は紅葉の名所といわれたお寺さんですが、広い境内は大井の丘陵の裾の部分で、お江戸の昔、秋の景観は紅葉山のようだったのでしょう。 今は墓地が最上部分に達し、そこに岩倉具視と松平春嶽の塋域があります。 不思議な事…

[寺社][風俗] 本郷 根津界隈(1)−2 根津権現社と根津遊郭

昔から年寄りの一癖に「意地悪じいさん」などと云われる方が居りました。私も真似をする訳ではありませんが、本郷湯島から根津を歩いて見ますと若いお方に馴染みのない、懐かしい歌を思い出しましたので、自分勝手にロマンを楽しみます。 先ずは本郷湯島とく…

[将軍家] 日光東照宮 (4)−4 徳川家康公の世襲の誤算

中近世日本を支配した武家政治徳川幕府が潰え去ってから144年になります。 曲がりなりにも二百七、八十年、15代に亙る世襲将軍家でありましたが、家康、秀忠、家光の初期三代の隆盛をピークに、あとはお世継ぎにエネルギーを費やすばかりで衰退して往き…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (3)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その3

寛永3年(1626)崇源院お江与の方霊廟建立で始った増上寺徳川将軍霊廟は明治10年(1877)皇女和宮静寛院が逝去、宮内省の手で14代将軍家茂宝塔に並べて葬られる迄の251年間利用された事になります。昭和20年の東京空襲で焼失、昭和33年…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (2)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その2

三代将軍家光と大御所さま秀忠が京都二条城に上洛中の寛永3年9月15日お江与の方は江戸城西の丸で亡くなります。遺骸は9月18日増上寺におくられ、程近い麻布我善坊谷で盛大な荼毘に付し増上寺境内に巨大な宝篋印塔を建て胴中に遺骨は葬られました。…人…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (1)−5 江、秀忠墳墓の経緯と増上寺 その1

増上寺に係わる話しでは、複雑な歴史経緯からも簡単に終らないのが常でございますが、”江”と”秀忠”の眠る場所でもあり今回は取り上げる事にいたしました。 私は最近書くブログのテーマがお寺さんとか人物の生死に係わる話しが多いのを気に留めておりました。…

[風俗] 遊郭 赤線 青線(9)−12 吉原遊女 投げこみ寺、淨閑寺昨今

新吉原遊郭の遊女の投げ込寺として有名な淨閑寺です。葬られた女性達の生涯は『生まれては苦界、死しては浄閑寺』と悼む心は現代にも語り継がれております。… 淨閑寺参詣で実在した歴史の一端に触れ、境内に眠る女性達には仏様の慈悲と救済をお願いするばか…

[探訪][地域][寺社]  向島を歩こう(4)−5 牛島神社の撫で牛談義。

先日の三囲神社から南へ蔵前通りを挟んで牛島神社があります。 この場所は水戸藩小梅別邸跡の一部でしょうか。 当初牛島神社は隅田川畔を更に上流へ、現在の興福寺裏あたりに位置しますが、関東大震災後の隅田川堤防拡張などで、現在地に移転したもので、今…

[探訪][地域][寺社] 向島を歩こう(3)−5  江戸石工文化の魅力。

私は浅草近辺に所要があると、ふらふらと向島に足が向いてしまいます。…何時ものところで、何時もの様に待ってます。と約束を交わした心持になるのが不思議なのです。 お前さんお歳はなんぼにお成りか、と訊ねられると面目ないのですが、実は三囲(みめぐり…

[寺社] 参詣 (3)−3 浅草観音境内とラビランスの探訪。

有為転変、隅田川浅草エリアに世界一のTV塔が出現と今から楽しみにしている向きも多いようで、お江戸の象徴浅草観音境内周辺は昔から歓楽地として色々話題に為った場所です。 遠い昔、四代将軍徳川家綱の時代、すでに浅草花川戸の町奴幡随院長兵衛と旗本奴…

[寺社] 参詣 (2)−3 成田山参詣:人の行く裏に道あり花の山。

年初の初詣といいますと関東屈指のお寺さん、庶民に人気の成田山新勝寺があります。 私も何度かお参りした記憶では、うなぎ料理屋、食堂、旅館、羊羹屋、漬物店、土産屋など建物が懐かしげな雰囲気を参道に醸しておりました。 決まり! 成田山に行こう。… と…

[寺社] 参詣 (1)−3 葛飾柴又帝釈天は東京のイーストエンド

江戸東京の東の果てに江戸川が流れております。…… 師走の半ば、空っ風が吹き抜ける季節に成りますと映画”男はつらいよ”がふと心を過ぎります。妹”さくら”の心配をよそにお兄ちゃんは何処の街を流離っているのやら。! 男はつらいよ”シリーズ第5話望郷篇で川…

気になるBlogと伝通院

いつもワッチしている日記"tenn-no-koeの日記"の11月8日の”地獄の沙汰も…”のお話を読んでいる居る私さえも”はらはら”冷や汗物でした。 お江戸徳川将軍家の菩提寺で有名な伝通院の御上人を黙らせた一件です。 このMr Drの剛速球一本槍は日記同様生活面でも…

[地域][寺社] 向島を歩こう(2)−5 御祈願 向島三囲神社

暑くて外は歩けない、激変寒い? 台風接近と篠をつく雨の終日、穏やかな秋の日和は望めないのでしょうか!。 …では前回の続き、具体的に神社さんを御案内いたします。 ● 御商売に成功、益々繁盛したいが間違いの無い神様は!… ● 釣り好き”釣りばか日誌”の浜…

[人物][時事][寺社]  マッカーサー神社

突然のマッカーサーで申し訳ありません。経済大国と云われた日本ですが、昨今は慢性的低迷が続き元気が在りません。 最早、失速経済を打破出来る能力とパワーを秘めた政治転換が望まれますが、どうやら我が身可愛いい”風任せ”政治家さんが往行しております。…