地域 東京

[寺社][歴史] 江戸六地蔵 (5)ー6 深川永代寺の廢佛毀釋と破壊の真実

今回は江戸六地蔵の第6番真言宗永代寺(江東区富岡一丁目)に享保5年(1720)建立のお地蔵様が明治初年破壊され寺も廃寺になった経緯を調べてみました。 ……明治新政府の神仏分離令から国家神道こと神国日本思想の実践国家の原理が成立いたしましたが、…

[地域][歴史] 江戸六地蔵 (4)ー6 深川霊厳寺 芭蕉庵と小名木川(二)

霊厳寺の北には江戸時代の遺構小名木川が東西に流れ、銚子漁港の大漁節に唄われた高瀬船が金肥の干鰯を運んで来て水揚げした干鰯場跡の碑が,清洲橋通りに面し(白河1−5)にあります。……銚子大漁節の一部分 一つとせ 一番ずつに積み立てて川口押し込む大矢…

[寺社][地域] 江戸六地蔵 (3)ー6 深川霊巌寺 清澄白河界隈と紀伊国屋文左衛門(一)

江東区白河一丁目、広大な霊巌寺境内の中程に鎮座される地蔵菩薩銅像は第五番目、享保2年建立(1802)です。 街道筋は水戸街道とされておりますが? 今回は最初から一寸つまづきです…、えーと、水戸街道はお江戸日本橋から奥州、日光街道とおなじ道を浅…

[寺社][歴史] 江戸六地蔵 (2)ー6 品川寺 品川松右衛門と投込み寺

京浜急行の青物横丁駅は第一京浜国道と旧東海道に挟まれ、池上通りに面して駅があります。 この旧街道を鈴ケ森方面に歩くと突然、第一番の江戸六地蔵が鎮座し見上げれる御尊顔は紛れもなくお馴染みの仏様で宝永5年(1708)建立以来東海道の旅人の無事を…

 [寺社][歴史] 江戸六地蔵 (1)ー6 新宿太宗寺と界隈

お江戸の痕跡は寺社、江戸城と外郭などに僅かに残る東京ですが、戦火を逃れた巨大な六地蔵が辛うじて余韻を伝えております。 今回は内藤新宿と云われた旧街道宿場にある 浄土宗「太宗寺」のお地蔵様から始めます。ま、物には順序と云う事で、六地蔵建立の経…

 [産業][歴史 皮革産業木下川 (6)−6 戦後の盛衰

現在の東墨田(木下川地区)とは以前の向島区吾嬬町です。中居掘を挟んで西、東に分かれて居りましたが、昭和40年の町名改訂で現在の東墨田と八広、立花、文化などと返って複雑化された地域です。 中居掘は戦後埋め立てられました。 八広町と東墨田町の境…

[産業][歴史] 皮革産業木下川 (5)−6 東墨田木下川地区の成立

では、木下川地区発祥の第一ステップ……政府は明治25年(1892)魚獣化成場取締規則を定め、明治35年(1902)以後の皮鞣し業の市街強制移住を通告しました。……移転先は墨田、荒川の低湿地です。 しかし…既に早くも明治20年には荒川三河島では既…

[地域][歴史] 皮革産業木下川 (4)−6 東墨田木下川地区の発祥 

さて、今回は木下川をよく知る事から始めて、その成立ちを調べてゆきたいと思います。…… 東墨田の木下川地区には、その名の川があった筈ですが、ご存知でしょうか?… さっそく地図を開いて見ますと荒川放水路と墨田区側には旧中川の廃川だけが目に付きますが…

[歴史][地域]  皮革産業木下川 (3)−6 東墨田木下川地区とは

東京の地場産業としての皮革関連産業は台東区と墨田区が象徴的に語られておりますが、中でもタンナー(皮なめし業)が集約されている東墨田木下川地区の歩みを調べてみますと、皮革産業の成り立ちが見えてまいります。 それでは今回は一旦、木下川を離れて根…

[風俗] 遊郭 赤線 青線(12)−12 元吉原遊郭 遊郭という街が出来た

毎度どうでも良い話を、どうでも良い様な私が、風化した年月に逆らって、なんとか かんとか書き綴る どうも要領を得ないのがこの話です。…… 今回も遊郭の残滓赤線から始めます。ところが、赤線商売とは云え男女の究極の交歓情景などは私如きには手に負えませ…

[風俗] 遊郭 赤線 青線(11)−12 遊廓という街があった

どうでも良い話の続きになります。前回の新宿の花園(ゴールデン街)は純然とした青線でしたが、例えば水戸街道(6号線)東向島一丁目から墨提へ鳩の街と云う青線がありました、但し赤線で通用していたかも知れません。 なぜか?…ここは戦後になって「玉の…

[風俗] 遊郭 赤線 青線(10)−12 遊郭という街があった

今回はただのお話、ま、どうでも良い事の類です。暮れの忙しい盛りに暇つぶしか、性癖か、自分でも分からないのですが、取りとめもなく話しは行き来しますので悪しからずお願い致します。……昭和20年以前に遊郭で遊んだことのあるお方はかれこれ年齢にいたし…

[歴史][地域]  糞尿譚(2)−6 西武鉄道、東武鉄道の屎尿輸送 -2016 08 14更新-

お江戸の頃は商品とし取引された糞尿ですが、御一新後の東京は近代的大都会を指向する様になりますと、インフラとしての下水道不備が顕著になり、近代化過程で大きなトラブルとなっています。 明治期の東京でも西洋式のビル建設が始まりますが早速糞尿譚が語…

[歴史][地域] 豪徳寺(世田谷区)周辺(2)−2 代官屋敷とボロ市

前回のお話、豪徳寺の近くにある東急世田谷線上町駅は昔は玉電上町と呼んでおりましたが、駅の南の高台に今では珍しい茅葺屋根の代官屋敷があります。 photo-世田谷代官屋敷 その代官屋敷前の道が旧大山街道で江戸、明治の時代には秦野の大山雨降山神社(大…

[地域][歴史] 豪徳寺(世田谷区)周辺(1)−2 彦根藩主塋域と井伊直弼

前回の松蔭神社の吉田松陰墓地から西へ僅か900m離れた世田谷2丁目の巨刹豪徳寺には奇しくも「安政の大獄」を指揮して斜陽幕府の回天を計り、凶刃に倒れた井伊直弼の墓があります。 ”去る者は日々に疎し”と云われる世の中ですが、さすが幕末動乱の分岐点…

[歴史][地域] 安政の大獄(5)−5 冥界小塚原刑場と松陰神社の経緯

浅草裏に存在する天国と地獄の極致が南千住の小塚原刑場跡で死者の世界、冥界なのです。 この刑場は徳川家康江戸入府の時、既に存在した日本橋本町4丁目の刑場が移転したもので浅草鳥越橋、浅草聖天町を経て慶安4年(1651)当地に開設され明治6年頃まで…

[歴史][地域] 安政の大獄(4)−5 小伝馬町牢の露と消える

小伝馬町牢跡地の遺構は中央区日本橋小伝馬町にあり、十思公園、十思保育園(旧十思小)と大安樂寺、身延山別院など一帯に存在し大安楽寺門前には御椓場(おたくば)こと打首場、更に云えば斬首場跡の石碑が歴史の在りし日を物語って居ります。 この十思公園…

[歴史][事件事故] 安政の大獄(3)−5 徳川幕府の鉄槌下る

じゃぶじゃぶの金融漬けや急激な円安の進行で安倍総理の云う景気回復が実現するのでしょうか、腹痛が再発する前にせめてTPP妥結実現だけでも置き土産にしてくださいまし… 一方、野党民主党では季節はずれの「啓蟄」現象がおきて、民主党政権を潰した面々が地…

[歴史][事件事故] 安政の大獄(2)−5 水戸藩徳川斉昭の画策と将軍継嗣争い

前回では水戸と尾張藩の両家が御三家の夢、将軍継嗣輩出でお家繁栄の願いに水差す事件がありました。…有名な徳川家光三代将軍就任宣言です。御三家尾張、紀州、水戸藩主に対して「……、向後ハ各モ譜代ノ大名ニ同ジク某(それがし)ガ家臣ナリ。コレニ因テ諸事…

[歴史] 安政の大獄(1)−5 桜田門外事件起因と過程

秋雨のおかげで炎暑を逃れ一息つきました。早い秋の訪れならば気に為る歴史遺構の探訪に出かけたいのです…が、他人様からば高齢者の徘徊ではと見られるかも? …それも仕方ない事、区別はつかないと思われますから。 ………今回のテーマは幕末最大のターニンポイ…

[地域][天災] 東京都市災害(5)−6  荒川大規模水害東京地区の想定データ

前回に引き続き国交省荒川下流河川事務所の荒川知水館の展示から地球温暖化の異常気象や地震など自然災害に伴う洪水誘発に関する詳細データが展示され被害発生メカニズムが解明されております。展示スペースの大半を占める事からも世界温暖化の弊害「異常気…

[地域][歴史] 東京都市災害(4)−6  東京大洪水と荒川、隅田川

前回の利根川流路の話から既に私達が実感している世界的な天候異変は、更なる温暖化現象の加速で世界各地で顕著になってまいりました。 そこで東京と深い係わりのある荒川、隅田川との因果と現実を知ろうと、早速国交省荒川下流河川事務所の施設「荒川知水資…

[河川][地域][歴史] 利根川の東遷事業(2)−4 江戸幕府 利根川銚子放流の経過

戦前の事、子供の頃3,4年東京の下町に住んでおりましたが夏になると必ず洪水に見舞われており、大水(おおみず)と呼び特別な事ではありませんでした。 敗戦後の昭和20年代でも夏場しばしば洲崎の先は大水が出て永代通りは見渡す限りの”さざ波”の水面だ…

[産業][地域] 皮革産業木下川 (2)−6 ピッグスキンの将来は…

昨今の東墨田地区の皮鞣業は盛業時の1/10の規模に衰退し路地に活力はありません。この地域でも過って存在した大規模工場が街を去って行った理由と時期とは、……昭和40年代に入り特に公害に対する規制の強化と地域的なインフラの不整備や、旧態からの路地…

[産業][地域] 皮革産業木下川 (1)−6 東墨田皮革産業の今昔

15年程前、皮から革にする産業地帯、墨田区東墨田地区を探訪いたしましたが、この地域産業が昨今はどのように変化しているのか再訪してみました。 先ず、地続きの墨田区北部一帯は永井荷風さんの濹東綺譚で有名な玉の井の「抜けられます」と同じように入り…

[寺社] 将軍家霊廟増上寺 (5)−5 増上寺将軍霊廟宝塔の行方と清瀬市長命寺

戦災で荒廃した増上寺将軍霊廟の売却で発生した墓地の宝塔(墓石)の内、 二代将軍徳川秀忠 六代将軍徳川家宣 七代将軍徳川家継 九代将軍徳川家重 十二代将軍徳川家慶 十四代将軍徳川家茂 …将軍の宝塔は増上寺境内に徳川家霊域を新設し移転設置されておりま…

[寺社] 靖国神社の真実

先ず、始めに靖国神社の英霊と云われる大部分の戦死者を出した戦時中の事実を隠蔽し戦後の民主主義社会の如くパラドックスさせて語るのが総理大臣安倍晋三です。……と見えたのですが、軍国主義者と言われる安倍さんは戦後生まれで、私達世代の体験した第二次…

[歴史][地域] 隅田川と戦国武将(2)−2 浅草の石浜城と神話天岩戸

今回も浅草附近隅田川岸を構成していた石浜の丘陵真土山(待乳山)に拘わる推理と南北朝時代の風雲児足利尊氏伝聞です。…… つらつら考えるのですが、歴史とは講談師さんのお話し程度のものなのか? 南北朝の争いも太平記という物語をベースに考えたり致しま…

[地域][探訪]  隅田川と戦国武将(1)−2

前回に引き続き隅田川に因んだお話し、戦国武将とこの川の係わりを調べる事に致しましょう。 源義家(八幡太郎義家)江戸絵 先ずは平安時代後期、朝廷に隷属する形で勃興した新興武士集団の源義家(八幡太郎義家)は陸奥の豪族安倍氏懲罰の為に朝廷から陸奥…

[地域][歴史] 築地 月島 (6)−6 勝どき橋界隈

それでは歌舞伎座前の晴海通りを月島方面へ、隅田川の勝どき橋があります。以前は東京名所の巨大開閉橋でした。 まさに万歳をした様に橋の中央部分が開くのです。 私は昭和24,5年頃魚河岸の岸壁から眺めておりましたが当時は午前と午後の二回開閉で、た…